●「帝国の性格とは何か」のお尋ねに答えて
視聴者の皆さんからいろいろなお尋ねをいただいています。本当にありがたいことです。
今日は、オーストリア=ハンガリー帝国とも呼ばれるハプスブルク帝国とオスマン帝国について、こうした帝国に共通する性格とは何なのかというお尋ねをいただきました。
なかなか難しい問題ですが、簡単に申しますと、両方とも多民族国家であることです。そして多宗教国家で、宗教もたくさんある。それから多言語国家であるということです。帝国とは、そのように多くの民族、多くの宗教、多くの言語といった多様性を、ある意味で担保している点に特徴があります。
したがって、帝国といえば悪いことだけを連想しがちですが、必ずしもそうではありません。多くの民族や多くの宗教は、そこに人為的な境界を引き、「国民国家」と呼ばれる体制をとりました。一国家=一民族、一宗教、一言語へと、限りなく近づけようとする試みです。そうしたことが多くの摩擦を生んだことを考えると、帝国の中において、多くの民族、多くの言語、多くの人種、多くの宗教が、人工的な境界線(バウンダリー)をつくられずに共存していたことは、積極的に評価していい面と言えるでしょう。
●多様性が担保された帝国を懐かしむ人々もいる
ですから、今のウィーンの人々、あるいはハプスブルク朝のもとに住んでいた人たちには、オーストリア=ハンガリー帝国が存在していた頃を、ノスタルジアとして懐かしむ人たちがいます。あるいはオスマン帝国の支配下にあったアラブの人々、クルド人たち、そしてユダヤ人たちでさえ、オスマン帝国が「パクス・オトマニカ(オスマンの平和)」の名において達成した時代、民族対立や宗教対立が起きることなく調和的に共存していたことを、懐かしく評価する人たちもいるのです。
つまり、帝国には二つの面があります。一つは、皇帝やスルタンによる抑圧という面です。しかし、この抑圧も普通言われるのは随分誇張した見方です。むしろ、皇帝やスルタンたちは、その支配下にある臣民としての諸民族に自由な信仰、自由な言語、そして自由な居住地を任せ、後は放置しておいたり自由に委ねておいたりといった君主たちであったことを忘れてはなりません。そのように、帝国のもとでは多くの人たちが共存していたという側面も、また帝国の一面であります。