●母と拝んだ仏に書きつけた「賛」
―― (明恵の)次の文章ですが、これは「明恵念持仏(仏眼仏母)」に明恵自身が書き付けた賛ということですが、これはどういう文章になるのでしょうか。
賴住 はい、明恵は自分の父と母を早くに亡くした人でした。それで、なくなった父母の代わりに釈尊を自分の父親であると考えていました。さらに、この「仏眼仏母」如来はよく密教などで信仰されていますが、この仏さまを自分の母親だと考えておりました。
この「仏眼仏母」如来は今、高山寺に残されている、2メートル足らずの非常に美しい仏の図像です。白い蓮華座に座っていますが、仏の体自身も真っ白で、また着ている衣も真っ白な、とても優美な美しい仏です。この仏を明恵は自分の母親と考えて、この仏を礼拝したり、いろいろな儀礼をしたりしていました。その念持仏の絵に明恵が自分の心を書き付けた文章になります。
―― なるほど。先生が美しいとおっしゃった仏さまのところに書いたということになるわけですね。
賴住 そうですね。はい。
―― では、読ませていただきます。
「モロトモニ アハレトヲホセ ミ仏ヨ キミヨリホカニ シル人モナシ 無耳法師母御前也、哀愍我(我を哀れみたまえ)、生々世々 不暫離(暫くも離れず)、南無母御前 南無母御前」
賴住 これは、明恵が自分の信仰していた「仏眼仏母」如来の絵の右上のところに書いた「賛」なのですけれども、「モロトモニ アハレトヲホセ」が、「一緒に愛おしいと思ってください」ということです。「モロトモニ」というのは、明恵がこの「仏眼仏母」如来を愛おしいと思っているのと同じように、「仏眼仏母」如来も私のことを思われているという意味になります。
この後に「ミ仏ヨ」と呼びかけて、「御仏より他に自分の気持ちを知ってくれる人はない。御仏だけが私の気持ちを知ってくださっている」と言っています。その後に「無耳法師」と言われていますが、これは自分のことになります。
●明恵が「無耳法師」を名乗った理由
賴住 「無耳法師」とはどういうことでしょうか。実は明恵は大変に美しい姿かたちをしていたため、たくさんのファンが回りを取り囲むほどだったそうです。そのため、修行さえ妨げられてしまうようなことがどうもあったらしいのです。
そこで明恵は、自分の姿かたちを自分で損なおうと思いつめたわけです。では、どうやって損なおうかと考えたときに、例えば目をくりぬいてしまったらお経が読めなくなってしまう。鼻を削いでしまったら、鼻汁が垂れてお経を汚してしまう。耳ならいいだろう。そのように言って、彼は自分の右耳を自分で切ってしまいました。
―― そうなのですか。
賴住 はい。そうやって自分の姿かたちを損なってまで修行を全うしようとしたということがあったわけです。しかも、耳を削いだときには、この「仏眼仏母」如来の絵の前で耳を削いだという話が伝わっています。耳を削いだので片耳が欠けている。それで、ご自分のことを「無耳法師」と呼んでおられた。そういう意味では、非常に過激な部分を持った方でもあったわけです。
「仏眼仏母」如来は、この耳を削いだ無耳法師のお母さまである。ですから、「我を哀れみたまえ(私に憐れみをかけてください)」と言っております。
次に「生々世々 不暫離(暫くも離れず)」と言っています。この当時仏教者は基本的に輪廻転生を考えていますから、自分はこの先何度も何度も生まれ変わるかもしれないけれども、そのたびごとに「仏眼仏母」如来から離れません、永遠に一緒ですということを言い、「南無母御前 南無母御前」と、非常に強い気持ちで「仏眼仏母」如来に呼びかけているということになります。
―― 先ほどの「無耳法師」のエピソードもそうですけれども、これもやはり非常に明恵法師の卓越した感受性が伝わってくるお話であり、文章でもあるということですね。
賴住 そうですね。
●華厳の教えに根ざした明恵の和歌
―― 次に、明恵法師の和歌をご紹介したいと思いますけれども、三首ご紹介いただきました。
「雲を出でて 我にともなふ 冬の月 風や身にしむ 雪やつめたき」
「くまもなく すめる心の かがやけば わが光とや 月思ふらん」
「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
このように非常に印象的な三首をお選びいただきました。これはそれぞれ、どういう歌になりますでしょうか。
賴住 これは明恵が自分の心境を託した歌ということになります。先ほども申し上げましたように、明恵という方は華厳宗という宗派のお坊さんでもあったわけですが、華厳宗では「一即一切、一切即一」といっ...