●アベノミクス「成長戦略」の評価
前回、日本社会は、内外のメガトレンドの大変化にも関わらず、高度成長時代に出来上がったシステムを未だに抱えている。成長戦略とは、この硬直した社会の体質改革をやろうとしているのだ、ということをお話ししました。そこで、皆さんと考えたいのです。この状況で、私が「アベノミクスに成長戦略はないのではないか」と言っているのは、そういうことを意味しているのです。
戦後のガチガチにできた体制を変えようとしていることは、これはもう本当に高く評価すべきものです。いろいろなところからすごい抵抗がありますけど、とにかくやっている。私は立派だと思います。戦後の歴代内閣の中で、最も頑張っていると思います。
でも、「成長」というのではないのではないか、と思うのです。「人口が減っていくから成長は望めないんだよな」とか、「資源がないから成長は無理なんだよな」という意見もあると思います。ここで、そういう意見に対して、一つ、二つ例を出してみたいと思います。
●人口資源がなくても成長を遂げたドバイ
人口や資源がない場合に成長できないのかというと、ドバイを見てみたら面白いですよ。ドバイに行かれた方は多いと思いますけれど、ドバイは、昔はベドウィンの砂漠と真珠貝くらいが観光資源という小さな国でした。ですが、いま七つ星のホテルなど「世界一」のものは全部ドバイにありますよね。
なぜあのようなことが出来たのかというと、ドバイの首長であるシェイク・モハメドさんが偉かったからです。ドバイはユーラシアとアメリカとアフリカ大陸を結ぶ真ん中の地点にあります。ですから、飛行機がそこを通るときに空港料を全部タダにして、すごい誘致戦略を組むと言ってしばらくやったら、本当に外国の企業が来たのです。それで、どんどん資源がたまって、今のようになったのです。
今、ドバイの人口は220万人ほどですが、ドバイ人は、どのくらいいるか知っていますか。1~2割程度なのです。ほとんどが外国人で、特にインド人が約半数を占めています。ドバイに行くと、インド人の立派な邸宅がだーっと並んでいますよね。現地国籍の人口が少なくても、企業の誘致といったことをやればできるではないですか。日本も、ヨーロッパとアメリカの真ん中に位置しているわけですから、金融などもっと活発になってもいいはずなのに、なぜシンガポールやオーストラリアに追いかけられるような状態なのか、ということです。時差のことだけをとっても有利なのですから。
●資源のない国シンガポールの実例
もう一例、資源が全くない国で伸びた国もあるのです。シンガポールがそうです。ご存知のように、シンガポールは1963年に独立宣言をしています。当時のマレーシア連邦のトゥンク・アブドゥル・ラーマン首相は非常に頭のいい人でした。一方のシンガポール初代首相のリー・クアンユーさんは若い政治家で、「機会の均等だ」と正論を吐いていました。ところが、ラーマンさんは「結果の均等」ということをやったのです。
どういうことかというと、マレーシアのようにマレー人と中国人とインド人のいる国で、機会の均等をやっていたら中国人が圧倒的に勝つだけなのです。マレーの人は人がいいから、全部負けてしまう。ですから、「ブミプトラ」、これは「土地の王子様」という意味なのですが、原住民のマレー人を優遇する政策をラーマンさんはとりました。それをリー・クアンユーさんが「撤廃しろ」と正論を叫ぶのですが、世界中で「これは放っておくと危険」と判断して、リー・クアンユーさんに独立しろと促したのです。結果的には、マレーシア連邦から出て行くように言われてしまいました。
リー・クアンユーさんの手元には、ジャングルと貧民窟とか、そのようなものしか残っていないわけです。シンガポールの独立宣言をした時に、あの気の強い男が滂沱(ぼうだ)の涙を流したと言われています。この様子がテレビに映し出されて、それを見ていた国民が、あの気の強いリー・クアンユーが涙をどっと流して語ったということで、もうこれは彼の言うことを全部受け止めていく以外にない。リー・クアンユーが黒を白と言ったら、「白でございます」と受け止める。独立以来、何十年間そういう状態になったのです。「開発独裁」と言いますが。
●リー・クアンユーの企業誘致戦略
そのリー・クアンユーさんが最初にやったことが、地震の統計調べだそうです。シンガポールには地震が300年間起きていない。ならば、安普請でも高層ビルをたくさん建てられる。そこへ家を持てない貧しい人を皆入れて、20年間仕事について家賃を払ったら、その家が自分のものになる、ということをやろうとしたのですが、その仕事口がない。
そこで、リー・クアンユーさんは、日...