●震災の復旧は50年先を見据えて
宮城県知事の村井嘉浩でございます。東日本大震災から3年が経ちました。
震災直後の宮城県は、本当に大変な状況でした。昭和53年にマグニチュード7.4の宮城県沖地震を経験したわれわれは、マグニチュード8.0を想定した準備をしてきました。しかし、今回の大地震は、マグニチュード9.0。8.0と9.0のエネルギー差は、32倍だそうで、想定をはるかに超える甚大な被害が生じたということです。
震災の直後に心がけたことは、まず県民の皆さまの命を守ることです。その後、約1ヶ月が経ち、少し落ち着いてくると、ただ単に元に戻していく復旧では、わが地元は時間の経過とともに残念ながら衰退するしかないだろうと考えました。そこで、この機会に10年から20年、できれば50年ぐらい先を見据えた県土を作っていこう。作らなければならない。そのように心を決めたのです。
●県主導の「創造的復興」で、民間活力の導入を
通常こうした(大規模災害の)場合は、国が復興計画を作り、その計画を見ながら県の計画、市町村の計画を作っていきます。しかし、今回はその方式では時間が足りないと考えました。そこで、まず県の計画をしっかり作り、県の計画に合わせた国の計画を作ってもらおうと目論んだわけです。
そこで、4月には復興計画の策定に取りかかり、約2ヶ月半かけて形としました。それを国にたびたびぶつけ、結果的にはその年の11月に法律改正が行われます。新たな法律が作られ、財源も確保してもらうことができました。
これらの動きを一言で言うと、「創造的な復興」をぜひ実現したいという気持ちの現れです。
税金を使って復興を成し遂げるのも重要なことですが、単に箱ものを作るだけの復興であってはなりません。県民の皆さまが、自分の力を使い、自分の足で立っていける県土を作っていくためには、民間の力をうまく活用した復興をするべきだと私は考えました。いろいろと盛り込んだ県の復興計画のなかで、最も注力したのもその部分です。
●総論賛成、各論反対の「水産業復興特区」
例えば、「水産業復興特区」では漁業権を民間に解放するともに、しっかりした高さの防潮堤を作っていくこと等を書き込んでおります。実はこういうことは、皆さん総論では賛成をされます。しかし、いざ各論になりますと、必ず強い反対意見が出てくるのです。
昨年の9月に、「...