テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

戦後70年間の実績の中に反省や謝罪の表れを見てほしい

戦後70年の歴史認識~中韓の意図と平和国家日本(2)平和国家としての歩み

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
漢江の奇跡(韓国の購買力平価推移)
第一次世界大戦中に起こったアルメニア人虐殺事件は、現在でもトルコとアルメニアの間に衝突をもたらしている。歴史認識をめぐる日本と中国・韓国の対立でも、一人歩きした数字と戦後の取り組みがすれ違っている。歴史学者・山内昌之氏が、未来志向の歴史認識の必要性を語る。(後編)
時間:12:24
収録日:2015/04/22
追加日:2015/05/07
カテゴリー:
タグ:
≪全文≫

●アルメニアの「グレート・カタストロフィ」100周年の意味


 皆さん、こんにちは。本日は、第二次世界大戦の終結70年という問題について、前回お話した内容に続いて、第一次世界大戦に関わる問題を、別の角度から話してみたいと思います。

 そもそも戦争とは悲劇です。戦争の勝者やその継承者、あるいはその勝者であったことから益を受けた人たちは、歴史から、ある過去の断片を選び取ります。そして過去の断片を抜き出す時点で、独自の価値観と歴史認識を持つことになります。

 昨年は第一次世界大戦の勃発100年にあたりました。今年は第一次世界大戦中のアルメニア人の大破局、あるいは大悲惨とでも訳したらいいでしょうか、「グレート・カタストロフィ」と呼ばれるカタストロフィから、ちょうど100年にあたります。現在予定されているところでは、2015年4月24日、アルメニアの首都エレバンで追悼式典が開かれることになっており、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領も参列したいという意向を表明しています。

 この番組がオン・エアーされる頃、この追悼式典がどうなったか、あるいはプーチン大統領が本当に参列したかどうか、いろいろなことが分かっているかと思いますが(編集部注:式典は予定通り実施され、プーチン大統領も参列)、その内容について詮索するのが、今回の目的ではありません。私が申したいのは、1915年にこのアルメニアを襲ったグレート・カタストロフィには、東アジアの国際関係以上に実に複雑な政治外交と歴史の絡み合う問題が、トルコとアルメニアの間に潜んでいるということです。


●「グレート・カタストロフィ」はジェノサイドだったか


 世界に散らばっているアルメニア人たちからなる、アルメニア人の世界共同体は、1915年に、アナトリア(現在のトルコのアジア地域)の東部にいたアルメニア人のほぼ半数にあたると言われる150万人が、トルコ人に虐殺されたと強調します。ところが、この150万という数字は、ある極端な方の高い数字を取っています。研究者の間では、死者数はおよそ5万7000人、そしてアルメニア人の一部の過激な主張では、207人説まであり、大変幅広いものがあります。中立的な最近の研究では、64万2000人という数字も出ています。こうした数字の違いによる統計戦争とでも言うべきもの、1980年代には資料戦争や出版戦争とも言われた歴史解釈をめぐる争いが、トルコとアルメニアの政府間によって活発な宣伝戦として繰り広げられたのです。

 トルコは、こういう言い分です。このアナトリアの東部戦線にまたがって住んでいたアルメニア人には、同じキリスト教徒である敵のロシア帝国の軍隊を実際に支援している者もいた。あるいは、支援するのではないかという危惧を持ったトルコ人もいた。こういう危機感から、国境地域の戦線にまたがっていたアルメニア人たちを、シリア方面に移住させようとした。その途中で自然に多数の犠牲者が生まれたと、トルコは解釈してきました。

 ところがアルメニアは、これをアルメニア語で「メツ・イエゲルン」(Meds Yeghren)、大きな惨状と呼び、1948年の国連の定義によってジェノサイドだと断定します。ジェノサイドとは、ある民族・ある集団を虐殺することで、「集団抹殺犯罪」と訳されることもあります。日本語で集団虐殺や集団抹殺犯罪とでも呼べるジェノサイドという言葉は、大変強い表現です。バラク・オバマ大統領は、かつて2回ほど、そのままアルメニア語で「メツ・イエゲルン」と表現して、トルコの行為を厳しくとがめたことがあります。


●ローマ法王の発言が火に油を注いだ


 そして先ほど紹介した、4月24日のアルメニアの首都エルバンで予定されている式典が開かれる前に、こうした事態に対し、火に油が注がれる状態が起きました。何かというと、4月12日の日曜礼拝ミサにおいて、バチカン法王フランシスコ猊下(ローマ法王)が、アルメニア人の悲劇を「20世紀最初のジェノサイド」と呼んだからです。フランシスコ法王は、この人類が20世紀に経験した前例のない三つの悲劇があり、一つはスターリンの大量粛清、一つはナチスによるホロコースト、そしてこれらの先駆となったのが、アルメニア人の悲劇だった、と言ったのです。

 法王の言葉をそのまま紹介すると、法王は「これ(虐殺)を隠したり否定したりすることは、傷口を手当せずに血を流れるままにするようなものだ」と語っています。しかし歴史認識の問題というのは、単純に事件の起きた過去のみに関わる問題ではありません。例えば第二次世界大戦後に過去の問題に対処しようとしてきた、関係者による戦後の軌跡とも関連するのです。


●歴史へのライトの当て方が日中韓では異なる


 アルメニア人の大悲劇に...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。