●周辺国との関係の中で最適な首相談話とは
皆さん、こんにちは。
安倍首相による「戦後70年に関する談話」について、いろいろ考えてきていますが、談話の発表に先立って、毎日新聞社は私にインタビューを求め、いくつかの質問に答えるよう希望してきました。その質問の3回目に、「周辺国との関係の中で、首相の談話はどうあるべきだと思いますか」という問いがありました。それに対して私は、非常に明快に次のように答えました。
「談話は、外国からこれを反省せよ、この文言を入れよと言われて従うという問題ではない。歴史の理解と表現は自分たち自身が考え抜くことだ」
一見すると、やや紋切型のように聞こえるかもしれませんが。そもそも歴史の解釈や反省、あるいはおわびといったことに踏み込んで、政治家や外交官が公に発表することについて、他人が言ったから、他者が希望したからという問題ではなくて、自分たちの心の中から本当にそうした思いというものが伝わるようでなければ駄目だということを、私は言いたかったのです。
●小泉・村山談話を継承した振り返りと元駐日大使の批判
安倍首相は、戦後の歩みと20世紀という時代を振り返り、「その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」あるいは「歴史の教訓を深く胸に刻み、よりよい未来を切り拓いていく」と語られました。こうしたことによって、歴史に対する責任についても触れたと解釈できるでしょう。
そして、村山談話における「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」という四つの言葉、いわば中国・韓国などが特にキーワードとしていることは、すべて談話に盛られました。ですから、首相はまさに自分なりの考えと表現で、小泉・村山両談話の内容を継承したといえるでしょう。この点は、中韓両国ともに否定できないところだと思われます。
しかし、冒頭で西洋諸国による広大な植民地支配を批判的に言及したのとは対照的に、日本が領有した韓国や台湾などの植民地領有やその意味については触れられていません。このことが、外国の中でも、たとえばヒュー・コータッツィ元駐日英国大使のように歴史的な誤解ないし曲解に基づく、私からすれば大変陳腐な批判を招く原因ともなったのではないかとされます。
●論戦を可能にしていた「内なる植民地主義」への自己批判
コータッツィ氏は、朝日新聞8月15...