テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

1915年の悲劇もトルコ・アルメニア間の歴史認識問題

戦後70年談話~政治と歴史認識(4)歴史解釈の違いが生む各国の対立

山内昌之
東京大学名誉教授
情報・テキスト
トルコ・アルメニア戦争の敗北で
カルスを後にするアルメニア人難民
今年は日本にとって戦後70年の節目に当たる年だが、トルコとアルメニアにとっては第一次世界大戦中、両国の間に起こった大悲劇ともいうべき事件から100年という年でもある。この事件においては両国の見方に食い違いがあり、論争はいまだに絶えない。この問題を通して、歴史学者・山内昌之氏が史実を多元的に捉える意味について論じる。戦後70年談話を考えるシリーズ第4回。
時間:09:41
収録日:2015/05/18
追加日:2015/06/15
カテゴリー:
≪全文≫

●歴史的事実を多元的に見るということ


 皆さん、こんにちは。

 世界史をひもときますと、あらゆる戦争において勝者、あるいはその継承者、そして勝利の受益者は、過去からその断片を選び出し抜き出す時点で、歴史について独自の価値観や歴史に関する独特な認識を持たざるを得ないことは、よく知られたことであります。これもまた歴史の現実と言うべきなのでしょう。

 昨年(2014年)は、第一次世界大戦の勃発からちょうど100年を迎えました。今年(2015年)は、第二次世界大戦の終結、日本の敗戦から70年を迎える節目の年になっています。これに関しては、日本だけではなく、中国と韓国、あるいは世界中のあちらこちらで、歴史とは何か、歴史をどのように認識すべきかについて、意見の対立が生じています。

 世界史を有機的に考えることは、私たちにとってとても大切な見方です。そして、第三国のことを客観的に見ることによって、比較の対象など、物事を具体的に関係付けていく上で、多角的に、そして多元的に見る捉え方を試みたいと思うのです。


●大悲劇に対するトルコとアルメニアの見方

 
 1915年という年は、日本人にとって、第一次世界大戦勃発から2年目に入るという、格別変わったこともない年です。しかし、第一次世界大戦中にオスマン帝国とアルメニア人との間に大変大きな衝突が起きた年であり、今年2015年は、それから100年に当たる年でもあります。これは、中立的な言葉を借りますと、「グレート・カタストロフィー」と呼ばれる大破局、あるいは大悲劇ともいうべき事件が起きた年から100年であることを意味します。

 そこには、東アジアにおける現在の私たちの情勢以上に、トルコとアルメニアとの間の政治外交と歴史とが絡み合う、複雑な問題が潜んでいます。アルメニアの首都エレバンでは、この4月24日に、アルメニア人の受けたジェノサイドと呼ばれる集団虐殺、あるいは集団抹殺の犯罪行為の犠牲者を追悼する式典が開かれまして、ロシアの大統領ウラジーミル・プーチン氏やフランスの大統領フランソワ・オランド氏も出席しました。

 それでは、このグレート・カタストロフィーとは、どういう事件だったのでしょうか。第一次世界大戦が起きて2年目の1915年、ロシアと戦っていたオスマン帝国(トルコ)は、トルコのアジア地方にあるアナトリアの東部や東南部にいたアルメニア人のほぼ半数に当たる、おおよそ150万人を虐殺したのですが、その事実をアルメニアは強調してきました。トルコの方からすると、これは戦争が起きた時に、戦線の前線の向こう側とこちら側、その東西両方にまたがって存在していたアルメニア人が、同じキリスト教徒であるロシア人の味方をしたり、あるいはロシア人のスパイ行為をしたり、第五列(スパイと同義)としてトルコの戦線の背後において活動することを妨げるために、アルメニア人を今のシリア方面に移送しようとした結果、その途中で起きた悲劇、そこで生まれた餓死、あるいは病死、衰弱死などによる犠牲者だと、このように言うのです。


●両国間で犠牲者数をめぐる統計戦争を展開


 世界のアルメニア人たちは、これを150万人の死者と考えますが、この数字にはいろいろな説がありまして、5万7000人説から207万人説まで、幅広い数字が出ています。1980年代には、資料戦争や出版戦争と呼ばれる、トルコとアルメニアの政府による活発な宣伝合戦も繰り広げられました。犠牲者や住民の数をめぐって、当時のオスマン帝国当局の行政文書や関係者の回想など、あらゆる統計資料が動員されたことから、統計戦争という性格も帯びていたのです。

 それは、さながら南京事件、中国から言うならば南京大虐殺の問題、あるいは韓国側が執拗に提起しているいわゆる従軍慰安婦の問題、こうした点で日中、日韓との間に交わされている、事件の本質や犠牲者の実数をめぐる論争とも、似たような性格を帯びています。

 こうしたアルメニア問題については、トルコの外交や革命との関係で、私が一昨年に出した『中東国際関係史研究』(岩波書店)の中で触れたことがありました。


●文明間衝突になりかけたジェノサイド発言

 
 さて、オスマン帝国は、この交戦国であるロシア帝国と、東アナトリアの東部戦線にまたがって居住するアルメニア人のロシア軍支援について危機を持ちました。そこで、こうしたアルメニア人の一部が武装参加した現実に触発されて、彼らをシリア方面に移住させようとしたのですが、先ほど申したように疾病や栄養失調などで多数の犠牲者が生まれました。しかし、その死はことさらにした行為ではなかったと説明してきたわけですが、それが彼らトルコ人の歴史解釈でありました。

 しかし、アルメニアはこうした見方を受け入れませ...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。