●「深い反省」を入れ、バンドン会議で演説
皆さん、こんにちは。トルコとアルメニアの例を考えましても、歴史認識と複雑に絡む謝罪や反省は、実に難しい問題をはらんでいることがお分かりいただけたかと思います。
こうした問題を踏まえて、戦後70年を迎える今年(2015年)の夏に、安倍晋三総理大臣の談話が予定されていますが、こうした談話をつくる作業はなかなかに難しく、基本的には政治の仕事であります。そしてまた、直接には首相の判断に関わるものであります。
そうしたことの一端につきまして、先般、安倍総理は、アメリカ議会の上下両院合同会議において、今年の夏に向けた、そして、歴史に対する総理の認識というものを思わせる、あるいは、それを垣間見せる演説をしまして、人々の関心を招いたところであります。
一方、この演説の影に隠れて目立たない問題としまして、4月22日にジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年の記念首脳会議で、安倍総理が、「先の大戦の深い反省」という文言を演説に入れた意味について、やはり私は強調しておきたいと思うのです。
総理は、バンドン会議の原則を二つわざわざ引用しています。バンドン会議の原則とは、第一に、表現をそのまま借りると「侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない」というものです。二つ目は、「国際紛争は平和的手段によって解決する」という原則です。これらを確認した上で、安倍総理は、「先の大戦の深い反省」という文言を入れて戦争を振り返ったわけです。
●バンドン会議での演説で評価した国は多い
これを素直に解釈すれば、これまでの談話を踏まえて侵略への反省を受け継ぐ意思を表明したと考えることが、まことに自然であろうかと思います。これが夏の談話の原形となるのであれば、おそらくそれは非常によい方向に向かっているのではないかと私は考えます。
まず、バンドン会議の記念行事という場所の選択がよろしいのであります。戦後の日本が平和国家として発展していく上で重要な一里塚となったのは、1955年のバンドン会議でありました。このことを1947年生まれの私としては、歴史の解説書、あるいは、子ども年鑑といったものを通して、バンドン会議の写真や内容について接する機会がありました。インドのジャワハルラール・ネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、エジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル大統領(当時は首相)、他に中国からも周恩来首相が参加していました。
日本は、バンドン会議の精神である、国際協調主義、平和主義、そして、反植民地主義を受けて、戦争、あるいは植民地支配に関わる反省を自らのものとしたことで今日の日本があるとしたわけであります。そして、バンドン会議があって現在の平和国家日本があるというアピールは、諸外国も認めざるを得ないものであります。こうした発言において、中国、韓国が常に意識する侵略や植民地支配、おわびという言葉につながる意思が表明されており、日本の首脳としてはきちんとした歴史に向かい合っていると、私は基本的に考える人間です。
バンドン会議を引用することで、日本の立場を良とした国は多いのです。特に東南アジアの国々には、首脳がいつまでたってもおわびを繰り返すことよりも、従来の日本の平和国家としての実績や、今後の平和国家としての意思を歴史の認識として建設的に出し、未来志向を強調した演説を高く評価する人たちが多かったことについて、私たちはもう少し自信を持つ必要があろうかと思います。
●歴史認識のあり方に必要なのは未来志向
アジア・アフリカ諸国の多くが参加したバンドン会議のバンドン宣言の引用と精神の強調によって、戦後の日本の平和国家としての実績は、歴史の中にきちんと位置付けられました。中国はその結果、習近平主席が首脳会談に応じて、歴史認識の問題にとりあえず柔軟に対応する構えを見せ始めました。他方、韓国は、このバンドン会議に大統領も参加しなかったようでありますが、相変わらず村山談話や小泉談話と同じ文書を繰り返すことを求めるらしいのです。
前にも申しましたので、さらに繰り返すことになり恐縮ですが、外交において自分の言い分が100パーセント通じる、あるいは、90パーセント以上の勝利を得るというようなことは、あり得ないのです。外交とは何かという基本に立ち返り、そして、歴史認識が外交との関係において非常に微妙な緊張感をもたらす行為であるということについて、もう少し謙虚に問題を捉えてほしいのです。
東アジアのみならず、中東、あるいは、世界全体にとって、歴史認識のあり方に必要なのは、歴史との関わりを未来志向で捉え、過去の悲劇や惨事から教訓を学ぶ姿勢を「バッ...
安倍首相の演説(平成27年4月22日)