●歴史認識とは過去のみの問題ではない
皆さん、こんにちは。
今回は、引き続き歴史認識の問題について扱ってみたいと思います。前回、アルメニアとトルコとの間に横たわっている歴史における、今日風にいうならば加害者と被害者との関係などについて触れるところがありました。
歴史認識の問題は、日本と韓国、日本と中国との関係を見ればすぐにお分かりのように、単純に過去にのみ関わる問題ではありません。過去の事実をどう解釈するかといった問題以上に、それぞれの時代を生きている人々の問題であり、そして、そこには時代状況が複雑に反映しているという点を見なくてはなりません。
最近、ミネルヴァ書房から『日韓歴史認識問題とは何か』という書物を上梓した神戸大学大学院の木村幹教授によりますと、歴史認識の問題とは、戦争や植民地支配といった第二次世界大戦以前の問題である以上に、戦後や植民地支配終焉後の問題でもあります。つまり、歴史があって歴史認識が存在するのではなく、歴史認識があって初めて歴史が存在する関係だといってもよろしいでしょう。
●事実認識さえ国により異なるという問題
アルメニア人のいわゆるアルメニア人から見た場合の虐殺に限らず、歴史には、南京事件など多くの歴史認識の問題をつくる悲惨な過去が存在することは、事実であります。しかし、南京事件についても、私自身も参加した日中歴史共同研究の研究プロセスでは、双方の委員たちの間に、解釈、いうなれば歴史認識の基礎になる事実の認識でさえ違いがありました。
日本側の委員は、南京事件の死者数について20万人が上限であるという説を紹介しつつ、4万人という説、あるいは2万人という説もあると実証的に紹介しますが、いずれも最終的に確定するには至りません。また、そうした要因も偶発的な要素が強いというのが、日本側の主張でありました。しかし、中国側の委員はこれを認めず、被害者の総数は30万人以上だと断定してはばかりませんでした。そして、そうした日本人による虐殺なるものが、必然的なものであって偶然的なものではないという立場を縷々、彼らは開陳しました。
●現在からの光の当て方で変わる歴史認識
両国の間にはいろいろな事件が起きていますし、歴史にはさまざまな事象が生じていますが、このように特定の事件だけが記憶され批判され続けるのは、加害者の反省が足りないからだという中国や韓国の言い分には、少し納得できない点があります。
それは、歴史認識とは、現在からのライトの当て方の問題であるからです。このライト、光の当て方によって被写体の見える部分は違うという点が、大きな理由の一つです。
外交の論争や、国内世論を過剰に意識し過ぎると、そして国内における権力闘争のために日本批判を利用したり、あるいは国内世論を気にするあまり、常に日本に対して加害者として糾弾し続けるということがたび重なりますと、日本がいくら自分たちの側で反省を表明し、時に謝罪の意思、遺憾の意思を表明しても、十分ではないということになります。なんとなれば、政権が代わったり、あるいは世論が国内事情の関係で中国や韓国の権力にとって大変つらいものになると、またまた同じ主張を強く繰り返し、今度はことさらにライトが当たっていなかったところまで、同じような論調で新たに批判し、新たな問題を追加するからであります。
●不都合な点に光を当てない中国の歴史認識
この結果、焦点は歴史を謙虚に究明するというよりも、常に外交において屈服を要求し、そして加害者の義務として外交的な屈服というものが永遠に恒常化されるというメカニズムをつくることに日本が賛成するのか、あるいは受容するのか否かということに、事実としてすり替えられてしまうわけであります。
例えば、現在の中国は、日本が戦後70年間歩んできた平和国家としての実績や、中国の繁栄へのODAや各企業の投資、雇用環境の創出など、こうした貢献を日本の反省や謝罪の表れとして認めません。その一方で、自らが犯し多くの犠牲者を出した大躍進や文化大革命、ひいては天安門事件といった事件の存在や同胞の悲運について語ったり、その犠牲者の実数を明らかにするというようなことはないのです。
これはまことに不幸な歴史認識のあり方で、日中歴史共同研究の場におきまして、こうした部分についても日本側は問題を提起したわけですが、中国側は戦後のこの歴史共同研究に関わる部分の発表を、頑として受け入れませんでした。つまり、中国側にとっての歴史共同研究や歴史認識では、自らのいわば隠したい部分についてライトを当てないのです。日本側については、隠れている部分についても無理やりいろいろなところから多面的にライトを当て、そこから日本側についての醜聞を引き出すの...