●70年談話による争点化は避けるべき
―― 戦後70年談話の問題を、曽根先生はどう考えておられますか。
曽根 基本的に、争点化しない方がいい問題がたくさんあるのです。例えば、靖国問題。あるいは、慰安婦問題。それから、尖閣問題もそうです。ですから、この談話も、世界にけんかを売るというのであれば、多分、談話を出すということをした方がいいのかもしれませんけれど、基本的には、争点として言挙げしない方が賢いと思います。
―― やはりサブジェクトにしてはいけない問題というのがありますよね。
曽根 例えば、慰安婦問題を争点にして、事実はこうだと言っても論争にならないのです。人権、女性という問題で議論が進みますから。そうすると、日本政府にほとんど勝ち目はないですね。そして、勝ち目がない問題を言挙げするということは、あまり賢くない。また、尖閣については、日本は実効支配をしているわけです。実効支配しているのだから、黙っていればいいのです。それを、尖閣問題をまさしく争点にして世界に訴えて、現状変更をしたと思わせるというのが、賢い選択ですか、ということです。
―― おっしゃる通りですね。
●侵略を認め平和を誇っても残る日本の弱み
曽根 実は、私も韓国や中国の学者たちに、「対日問題で興味があることは何か」とごく最近聞きましたら、「70年談話だ」と言うのです。「ずっと注目している。何を言うか注目している」と言っていました。何を言うかを注目しているということは、過去の村山談話を肯定しても、河野談話を肯定しても、日本は批判を受けますし、否定しても批判を受けます。つまり、「70年談話」を出すという時点で、そこにもう火種をつくっているということなのです。
ですから、多分、安倍首相が70年談話で言いたいことは、日本は侵略や植民地支配をきちんと認め、その上で、戦後70年間、日本は平和を守ってきた、世界の秩序を乱さなかった、ある意味で模範生であったということを言いたいのだろうと思います。
けれども、前からずっと繰り返しお話ししていますが、例えば、日本は憲法があるから平和だということをそのまま推し進めて、では、日本の憲法9条を世界中に広めればいいというような運動は成り立ちますか、ということが一つ言えますね。それから、湾岸戦争の時に特に問題になった、憲法9条は言い訳にしか過ぎないだろう、という見方があります。世界の平和や秩序に、日本はどう貢献するのですか、フリーライダーしている、ただ乗りしているのではないですか、と言われたところが、一番弱いわけです。
●「70年の平和」の先を語る覚悟と中身が必要
曽根 「70年の平和」というのは片方にあるけれども、「フリーライダーだ」と思われているところを、例えば、国連に対する貢献やODA(政府開発援助)などで説得できますか。それ以上のことをどう訴えるのですか、ということです。難しいですね。
つまり、世界に先駆けて日本はPKO(国際平和維持活動)をやりますと言っても、もうやっている国はたくさんあるわけで、この点で日本は世界の先進事例にはならないのです。社会保障や医療など、長寿社会で日本が行う改革は、世界の先進事例になるのだけれども、日本が行おうとするPKOや、あるいは国際貢献などというものは、先進事例には多分ならないのです。後追いなのですね。後追いでは、世界は「日本は立派なことをしている、素晴らしい」とは言わないと思うのです。ですから、先進事例になるようなことであるならば、大きな声で訴えることは可能ですけれども、集団的自衛権にしてもPKOにしても、多分それほどのことではない。普通の国が普通にやっているだけです。
その中で「日本は70年間平和だった」というのは、事実としてありますが、そこから先をどうするのですかという、そこの問題です。談話として出せるだけの内実、中身が伴っているものがもしあるならば、言っても良いのですが、それだけの覚悟と中身があるのですか、と大切なのはそこになりますね。
●どのような形の談話でも批判は避けられない
―― 多分、70年談話を出さないという選択肢というのもありですよね。村山富市元総理が「村山談話を遥かに超えるものを出してくれるのだったら、どんどんやってください」と仰っていました。
曽根 あの時は、多分反対した人はそれほどいなかったと思うのです。ただ、70年談話の場合、考慮すべき二つのことがあります。まず、侵略を認め、植民地支配を認める。この、「率直に認める」ということに対する歯切れの悪さを海外から批判されているわけですから、その点をどのように訴えるのか。それが、難しい問題なのです。二つ目として、過去と日本がどう向き合うかという問題とも関係するわけで、つまりそれは、人の...