●トルコはガリポリ半島で追悼行事を催した
皆さん、こんにちは。トルコとアルメニアの問題について、日韓、日中の関係との比較などでも議論してきました。
さて、現在のトルコ政府がアルメニアとの和解に前向きであることは、すでに述べた通りです。トルコ政府はなかなかにしたたかでありまして、第一次世界大戦中の1915年にアルメニアでいわゆる大虐殺という悲劇が生じた日からちょうど100年を回顧する本年(2015年)4月24日にぶつけるような形で、その翌日の25日に自らの積極的な歴史認識に関わる儀式が行われたことは、日本ではほとんど知られていません。
第一次世界大戦中、当時のオスマン帝国の軍隊(トルコ軍)はガリポリ半島において、敵前上陸作戦を敢行した英連邦軍であるイギリス本国とANZAC、すなわち、オーストラリア、ニュージーランドの軍隊と戦って、それを退けました。トルコ側の将軍指揮官は、ムスタファ・ケマル・パシャであったわけですが、この戦いは今日に至るまで、関係者の間で、騎士道精神によるフェアで潔い最後の戦争として記憶されています。
そうした戦を追悼する大規模な行事を、ガリポリ半島で催したわけであります。そこには、他ならぬイギリスのチャールズ皇太子、あるいは、オーストラリアのトニー・アボット首相、ニュージーランドのジョン・キー首相も参加しました。トルコ外交は、こうしてイギリス王室や英連邦の首脳たちをトルコでの儀式に参加させることで、前日に行われたアルメニア人のジェノサイドの問題をめぐる記念式典を相殺しかねない成果を挙げたといえるのであります。
このように、歴史というものは、外交における一つの大きな武器となっています。片方だけが、そうしたことの加害者、あるいは犠牲者であるとか、片方だけが、敗者として勝者の歴史を全てことごとく受け入れるという立場には絶対立たないというのが、トルコの考えでありました。
●トルコ国民が受けてきた圧迫や苦難の歴史
そもそもトルコ人がアルメニア人の大惨状を認め難かったのは、一部のトルコ国民が受けてきた圧迫や苦難の歴史について、国際世論が無視しているではないかということと関係しています。今のトルコ国民がなぜ共和国の国民として形成されるか、その訳を理解するには、その前のオスマン帝国の歴史を振り返らなければなりません。
ひとえ...