政治家を目指す志に関わる部分だと思いますが、これにはいくつか変遷があります。
なんとなく政治が気になっていたのは、ずっと子供の頃からです。これは信じてもらえないかもしれませんが、私は昭和32年の5月生まれなのですが、初めて政治を意識したのが昭和35年の10月でした。当時の社会党の委員長の浅沼稲次郎さんが、日比谷公会堂で右翼の少年に刺されて亡くなるというニュースが、私が3歳半のときに白黒テレビでずっと流れていまして、今は亡くなったお袋に「なぜあのおじさんは殺されたの?」と聞いたときに、「政治というのは大変な仕事なのよ」と言われた記憶があるということが一番の源流なのだと思います。
保育園に通っているときにはジョン・F・ケネディの暗殺があって、内外ともに政治家というのは、命を賭けるような、ものすごく大変な仕事だというイメージがありました。その怖い世界が見たかったのだと思いますが、保育園で親子面談があって「将来何になりたいの?」と聞かれたときに「内閣総理大臣」と答えました。これが原点のようなもので、怖いもの見たさというか、ものすごく大変な仕事なのだと思っていました。でも、世のため人のためになるのだというイメージがあったのです。
しかし、物心がついてくればくるほど、身近でそんな命を賭けて世のため人のためというよりも、ロッキード事件や田中金脈問題があったり、私の出身は千葉県ですけれども、千葉県にもいろいろな金権風土を象徴する事件がありました。おかしいなと思って政治を勉強しようと思い、それで早稲田大学政治学部に入るのですが、ペンを通じて政治を書いていきたいと思いました。この志はまだ寸志で、小さい志だと思います。ほのかな志から寸志にはなっていくのですが、政治家の道に行くには、まだ飛躍があるのです。
そして、大学卒業年時に、松下政経塾一期生募集の広告をたまたま見てしまいました。地盤、看板、鞄はないけれども、ペンではなくて、自分の志一つでチャレンジしてみようとふと思ったきっかけが政経塾だったということです。というのが、いわゆるポリティカルメモリーというか、自分なりのストーリーです。
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概要・テキスト
浅沼稲次郎
wikimedia Commons
政治家を目指す過程における契機や志の変遷について、野田佳彦が語る。
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