●政治主導か官僚主導かの争いではないことを実感
---- 次は、霞が関と野田さんの接点についてですが、民主党が政権を取り、財務省に財務副大臣と財務大臣という形でリーダーとして入られて、「霞が関を大切にしなければいけない」とより強く感じた部分があったと思います。野田さんが中から見た日本の霞が関というものを、財務省の体験を交えてお話しいただければと思います。
野田 私は、2009年の9月に政権交代をしたあと、財務副大臣になるのですが、当時、藤井(裕久)財務大臣を支えて、予算編成や税制改正を補佐しながらやっていくことになります。特に予算編成は、実務的に事実上の責任者としてやっていたのです。
そのときはリーマンショック直後で、税収が大きく落ち込んでしまった中での編成となり、それは困難を極めました。一度自民党が作った補正予算を見直し、新たに補正予算を作り直して、10月になりました。それからすぐに次の新年度の予算編成があるという、とてもタイトな日程でした。そんな中、身近にいた財務省の人たちの働きぶりをずっと見ていたのです。
その頃は、月に300時間以上の、いわゆる残業をしている人がかなりいました。300時間といったら、尋常ではないですよね。中には、2ヶ月で10キロやせる人もいました。睡眠不足はやはりやせるのですね。
ということも含めて、ふらふらになりながら、でも国の予算はきちんと自分たちの責任で作らなければいけません。そして他省との交渉もあります。財務省の人たちのそのような姿を見て、政治主導という言葉を履き違えていたのではないかなと思ったのです。それまでは、官僚主導か政治主導かのイニシアティブ争いをやっていたキライが少しあったのですが、そうではないだろうと思いました。国難といった状況の中で、国のために、黙々と志を持って働く人がいる。2ヶ月で体重を10キロ減らす人もいる。そういった人たちを、ただ役人だからといって、政治主導でついて来いということは、違うのではないかと思ったのです。
ですから、彼らの意見もよく聞きながら物事を進めていく、その責任を持つことが政治主導であり、単にイニシアティブ争いをするのは不毛だなと感じました。
●政府全体で共有したい思い~役人の力なくして政権運営はできない~
---- 野田さんの場合は、財務省の副大臣をやられてから財務大臣になりましたが、このコースというのは、結構理想的な感じですよね。
野田 どうでしょう。たまたまそういうことでしたし、先ほど言ったように、リーマンショック直後で、予算編成等は、税収を46兆円見込んでいたのに、37兆円しか入ってこなくなりました。要するに年間の予算を税収よりも借金に依存するという、昭和21年以来の事態のときの財務大臣ですから、それはもう過酷としか言いようのない状況だったのです。
しかし、役人の人たちの知恵を借りなければできませんから、そのときに仲間として、みんなで必死に智恵を出してやったということは、一つの役所を見る目という意味でよかったのではないかなと思います。
---- 一緒に苦しい作業をやったから、同士になっていくわけですよね。その役所の人から見ても、一緒に苦しい作業をやってくれた人が、今度は財務大臣になってくれるというのは、お互いの気心を非常に分かっているといいますか、この人はこれくらいの力量だということが分かっているので、やはり安定感がありますよね。
野田 だから、「財務省に取り込まれた」とか、よく言われました。取り込まれたのではなく、苦しい仕事を一緒にいっぱいやった分、問題意識を共有したり、お互いのいいところ悪いところも理解し合いながら、チームになれたということだと思うのです。
これは、総理大臣になったとき、どこかで言ったことですが、政権運営というものは、坂道で雪だるまを押し上げていくようなもので、雪だるまは1回転がって落ちたら、これをまた持ち上げていくことは大変です。そういう中で、誰かが手を抜いては転げ落ちていきます。それは、当番は止めなければいけません。
けれども、政権というのは、政治主導の中で、一緒に心を合わせていく役所の人たちもいるわけです。その人たちの力も借りなければ政権運営はできないし、坂道で雪だるまを上げていくことはできません。
それは、財務大臣の経験を踏まえてのことですが、そんな思いを政府全体で共有したいと訴えたことだったのです。
●政権はいろいろな人たちによって支えられている
---- お互いに立派な人たちだということを発見したわけですよね。
野田 もちろん、いろいろな人がいます。ただ、総じて国のために仕事しようという思いを持っている人たちがいるということは、前提にしなければいけないですね。
---- 上からやってきた政...