●4人の経済学者を当時の政治との重なりから振り返る
―― そうすると政権、学説から政策、政権、政治体制ということですが、次が学説の特徴ということですね。
曽根 はい。これはすでに柿埜真吾さんや橋爪大三郎さんが説明してくれている講義のシリーズの中でも紹介があるのですが、私は4人の代表的な経済学者をスライドに挙げました。
実はChatGPTでやっても上から4番までは同じ選択でした。代表する学説ですが、例えばアダム・スミスという人は「神の見えざる手」や「自由放任」といわれていますが、私の位置づけはミクロの動機とマクロの市場の結果は異なっているということです。
つまり、それまでの経済学は、どちらかというと個人の動機だとか、個人の活動を記述する学問だったのが、個人の動機とは切り離された、トータルの市場の結果はどうなるかということに興味を持ったし、それを発展させました。そういう意味では、近代の経済学の発祥といえるのだろうと思います。
ただ、当時のスコットランド、グラスゴー大学の道徳哲学の先生ですから、政権そのもの、その中心部で影響があったかどうかは別にして、学問としては過去を振り返れば突出した学者であることは間違いありません。特に分業ということを、アダム・スミスは釘作りの例で説明するわけですが、分業があるということは、大量生産が可能ということです。
ただ、ほぼアダム・スミスの時期に産業革命は起こります。スコットランドでも当然起こるわけですが、まだ産業革命を包括的に説明していないのです。そういう意味でいうと、アダム・スミスの頃のスコットランドは、ヒュームがいたり、ワットが出てきたりと国際的な都市だったのですが、イギリスの権力の中心で理論を展開したということではありません。ただし、振り返ると、学説的には非常に影響を及ぼしました。そういう意味では、アダム・スミスを近代経済学の父(発祥の人)と位置づけるのは正しいのだろうと思うのです。
その次にカール・マルクスという人が出てきますが、マルクスは第1話でご説明したように、もちろん労働価値説、あるいは剰余価値説などで資本主義を切って批判するわけです。その中心部はやはり革命の理論として受け継がれ、実践されたと思ったらいいでしょう。
本人は非常に貧しい生活をして、エンゲルスにサポートされた人生だったと思います。そういう意味では、主要な大学のポジションで講義をしていた人ではないのです。
しかし、影響を与えたということでは非常に影響を及ぼしました。特にロシア革命がマルクス=レーニン主義的な理論によって実行されました。実はここで問題なのは、マルクス=レーニン主義が実行されることと、マルクス経済学が実践されて成功したのかどうかというのは、また別の話ということです。
それから、この4人の中には含めていないのですが、限界効用という、ある種微分をしていく考え方は近代の経済学の中心ですから、そういう学派があり、さらにはそれを発展させるというよりも、金融財政理論をつくって、マクロ経済学を組み立てたケインズという人は非常に重要な学者として出てきます。特に、短期では財政赤字の出動によって需要をつくるというのは、近代の発想の中では新しい考え方です。
それから、ケインズの場合は「美人投票」とよくいわれますが、例えばどの株価が上がるかというのは自分がその会社だとか業績を評価して、高い評価をしたものに正しい値付けをするというよりも、みんながいい会社だと思い込んで、その投票の結果で株価が決まるという、今の株価の理論と非常に似ていることを当時すでに言っているわけです。ケインズは学者であると同時に、実際(ケンブリッジ大学の)キングスカレッジで株の売買をして、キングスカレッジの財産を殖やしたとよくいわれますが、そういうことも行っていますし、現在の政策に今でもケインズ的な発想が残っているのです。
それに対抗するのがフリードマンです。スライド(全体)をご覧になっていただくと、政治に非常にコミットする学説と、政治をできるだけ少なくする説があります。つまり、マルクスにいけば、まったく政治そのものが学説と一致している。ケインズの場合には、政権を取って、その政権と政策の運営でかなり現実を動かし、アダム・スミスや、特にフリードマンは、政策の関与をできるだけ少なくして、市場の動きに任せるのです。
特に、インフレ“退治”のためには貨幣供給のところを締めるというやり方で、それまでのケインズ政策的なものに反して、それで中央銀行の役割を十分理解したという意味で、現実と政策がかなり一致しているわけですが、そういう意味ではフリードマンが介入を最も少なくする立場だろうと思うのです。ですから、介入...