●政党の離合集散を日本では「政界再編」と思い込んでいる
―― 続いて「政界再編と政党再編」ということでお話しいただきます。「政界再編・政党再編」というのは、一般にあまり聞き馴染みがない言葉のように思いますが、どういう意味なのでしょうか。
曽根 ひと言で申し上げると、政党の離合集散を政界再編だと日本では思い込んでいるけれども、それは世界で考える政界再編(Party Realignment)とは少し違うというのが議論の趣旨です。
―― 違うのですか。
曽根 はい。上の図を見ていただくと分かると思います。これは平成における野党ないし政党の離合集散です。目まぐるしく政党が分裂し、合併し、あるいはまた再編してきました。
―― これを見ると、数年前のことなのに覚えていないことが結構ありますね。
曽根 はい。新進党が分裂して以来、かなり政党が分かれてしまいました。当時、銀行が分かれて、いろいろな名前がついたのと同じくらいです。銀行のほうは大きくメガバンク3つになりましたが、政党のほうはそうではありません。
ただ、一貫して、自民党と公明党と共産党は昔のままです。社会党は社民党になりました。ところが、問題はこの間のところ、つまり旧新進党、民主党のところで、いろいろな組み合わせが起きています。この部分の離合集散を政界再編と考える人が多いのですけれども…。
ついでながら、(民主党が)立憲民主党になった経緯をみても、民進党以降、国民民主党、立憲民主党、希望の党ができ、その希望の党がつぶれて、それが国民民主党に合流し、立憲民主党になったり、あるいは国民民主党として残ったりしています。ということで、こちらの図も大変複雑です。
でも、これは基本的に永田町の議員が対象で、議員同士の離合集散を示しているのです。これは政党再編であり、政界再編とは少し違います。
●政界再編とは社会構造の変化
曽根 では、私のいう政界再編とは何かということで、イギリスの例、アメリカの例について申し上げます。
1920年代は、イギリスで(男子に限る)普通選挙法ができた年代です。イギリスでは労働者階級にも選挙権が認められ、有権者が拡大していきます。そこで労働党が登場して、20年代にはすでに自由党の次の党派として自由党と連立政権を組むことになり、24年には政権が成立しています。
この時の内閣が第一次マクドナルド内閣で、労働党のマクドナルドが首相になり、自由党との連立による内閣ができたのです。これ以降、保守党対自由党の政治構造が、保守党対労働党に変わり、それが長く続きます。現在も自由党の伝統は続いていますが、非常に小さい党でしかありません。
アメリカの場合は、1932年と具体的な年を書きましたが、これはルーズベルト(が大統領選に出馬した年)です。彼は大恐慌後の「ニューディール」を政策として打ち出し、そこでいわゆるニューディール連合ができていきます。
「ニューディール再編」ともよくいわれます。都市労働者、移民、ユダヤ人、アイルランド系などのカトリック、それから農民、あるいは都市の知識人などをひっくるめて、1960年代まで続いた動きです。これが “Party Realignment”としての政界再編です。
この“Party Realignment”とはどういうことかというと、社会構造の変化です。
例えば、普通選挙法ができて有権者が拡大していく。あるいは産業構造が大きく変化する。アメリカの南部と北部の対立関係では、北部は奴隷解放で、南部はそれに反対していたけれども、南部の黒人も民主党に入れるようになり、ニューディール連合に加わるようになる。そのような大きな構造変化が起きて、それが長期に持続する。これが政界再編の一つのきっかけです。
●日本の野党は戦後、社会構造の変化の波に乗れなかった
曽根 もう一つは、有権者のほうの(変化です)。政治的な左右もあるし、経済的に小さな政府・大きな政府を望む場合もある。例えば、大きな政府を支持する人が増えると、必然的に中央政府の役割を期待する層、アメリカでいえば民主党的な連邦政府に期待する層が支持を固めていくようなことになります。
最近では、トランプ氏以前から見られるように「アイデンティティ・ポリティクス」といわれるような、社会的な価値観、つまりLGBTやマイノリティのような社会的価値観でリベラルと保守伝統派に分かれることもあり、それが政治的な大きな変化につながります。
つまり、こちらのほうはむしろ有権者側の変化ですから、そのような変化を巧みにつかみ、それに乗ることが政党の重要な役割の一つです。政界再編は、ニューディール再編のように、そ...