●民主党の失敗の一因は衆議院を解散するタイミング
―― (前回までにお伝えしたような)問題が起きて、民主党は当時、菅総理の失言でねじれになって、最終的には政権を失うことになるわけです。
そこで、民主党が勝った2009年の選挙の後になりますが、2012年に行われた選挙の時の票数を見ると、自民党が2500万票で、民主党が1300万票ということですね。そこから安倍内閣が現在まで続いています。
その次の2014年の選挙になると、安倍晋三さんが率いる自民党が2500万票で、前回と同じぐらいの票数を取っています。一方、民主党は1190万票ですから、だいたい1200万票ぐらいの票数でした。この時の代表は海江田万里さんです。
その次の選挙は2017年の選挙になりますが、この時は民主党が実質的に割れていくということになります。選挙の時には、枝野幸男さんが率いる立憲民主党と小池百合子さんが立ち上げた希望の党に分かれました。この時、小選挙区での得票数ですが、自民党は2650万票です。立憲民主党は470万票で、希望の党は1100万票でしたので、足しても1600万票です。こういう流れになっています。
曽根 民主党の敗北というか、失敗の要因としてはいくつかあります。それについて、シリーズ内で政権運営という話をしましたけれど、もう1つは選挙のタイミングですね。野田佳彦さんが3党合意の直後に解散に打って出ていたら、こんなボロ負けはしなかったと思います。
似たような例として1つ挙げると、羽田孜さんが首相になった1993年の後で、その時は自社さ政権ができるわけですね。自社さ政権ができた時、内閣不信任案で倒れるわけです。あの時、選挙に打って出ればよかったのです。でも、しなかった。「今やると区割ができていないから、旧制度の選挙になってしまう」というためらいがおそらく若干あったのでしょう。だけどあの時も、選挙をやるべきでした。つまり、選挙をやるべきときにやっていないのです。野田さんの時もそうです。そうすると、そのチャンスがジリジリと少なくなっていくということです。
―― 退潮していくということですね。
●自民党は選挙戦略に成功し、野党は失敗してきた
曽根 もう1つ、この日本の選挙制度では、野党が統一的な候補を立てないと、自民党に勝てないのです。
―― いってみれば、刺客が殺し合うようなものですね。
曽根 その通りです。野党同士で足の引っ張り合いをしていたら、漁夫の利として、自民党が勝つわけです。もっといえば、自民党は、自公連立、公明党との連立で、約700万票の公明党票のバックがある。だから、自民党は小選挙区レベルでもかなり安定的に勝てるというところがあるのです。
―― それについて、例えば2017年の選挙で、自民党は2600万票を取っているわけですけれども、自公連立が始まる前の自民党だけで2000万票を超えた時とは、話の次元が違うということなのですね。
曽根 これについては、2017年の選挙で見てみましょうか。公明党は比例で約700万票取りますが、小選挙区では83万票しかないのです。ということは、その分の票は自民党のほうに行っているということです。つまり、それがないと自民党政権は安定しないのです。だから、よく憲法改正の話になると、維新だとか威勢のいいところと自民が組んで、憲法改正をやってしまえという意見があるけれども、選挙のことを考えると、公明党を切ることなんて怖くてできないのです。
―― この700万票が他に行ってしまう、と。
曽根 そういうことなのですね。その700万票があちらに動くか、こちらに来るか、それが大きいのです。
―― 確かに、それは大きいですね。
曽根 そういう意味でいうと、小沢一郎さんが新進党の時に、公明党を与党側というか、自民側に行かせてしまったというのは、まさしく戦略ミスですね。
―― そこからずっと自公が続いているというわけですからね。
曽根 実は1996年以降は、単独政権ではなく、連立政権なのです。だから、55年体制の頃の自民党一党優位体制ではなくて、常に連立になっているということなのです。連立になっているから、自民党一党優位体制という言葉を使えないのです。
●「安倍一強」といわれたのは、なぜだったのか?
―― ある意味では、安倍一強というのもどうか。
曽根 安倍一強ではあるのです。安倍さんが一強であるのはなぜかというと、内閣機能が強化されたからです。
―― なるほど。そちらの部分なのですね。
曽根 そうです。例えば、与党審査は昔に比べてすごく緩くなりました。それから、内閣人事局もできました。要するに内閣機能が強化されたわけですが、これは橋本行革の結...