●1993年における細川政権の誕生と政治改革
―― 55年体制が一連の政治改革等々で変わってくるのですが、節目になったのは1993年の選挙ですね。前回、先生は、野党が自民党の過半数割れをひたすら待ち続けるということと、自民党がいかに割れていくかという話をされていました。いよいよそういった局面になりました。
曽根 そうですね。93年の時にまさしく政治改革がありました。宮沢政権の時なのですが、政治改革がテーマになって選挙が行われました。ただ、この時はまだ中選挙区時代の選挙です。つまり、中選挙区制の中で政権交代が行われたのです。だから、今後も中選挙区制でも政権交代はあり得るのではという説があるのです。
しかし、実はこの時、自民党の議席が過半数割れになっているのです。得票でいくと、それまで2000数百万票を取っていて、この時も2000万票は取っているわけです。比較第一党ではあるし、過半数ぎりぎりの議席は獲得しているのです。ですが、野党8党会派、つまり自民を除く8党の会派を合計すると、過半数の議席を握れるという状況でした。そこで小沢一郎さんが活躍して、細川護煕さんを担ぎ出したのがこの時なのですね。ですから、今度はまさしく、権力闘争の場が国会の中になったということです。
―― 自民党内から国会の中へと、権力闘争の場が移ったということですね。
曽根 だから、手法は自民党の総裁選で多数派工作をやるのと非常に似ていますが、この時は細川政権を誕生させることができました。つまり、政権交代となったわけです。
●小選挙区比例代表並立制の導入とその意味
曽根 そして細川政権の時に、選挙制度をそれまでの中選挙区制から小選挙区300と比例代表200を組み合わせた小選挙区比例代表並立制に変えるわけです。実際にその制度で選挙が行われたのは1996年からですが、そこに大きな大転換点がありました。
これをいうと、政治改革を「たかが選挙制度改革に矮小化して」と言う人がいるんですが、それは違います。実は世界中を見ても、選挙制度に関わることは憲法改正とも関連していることが多いのです。つまり、憲法に選挙制度のことが具体的に書いてある国が多いわけです。だから、選挙制度を変えるには憲法改正をしなくてはいけないということです。
ところが、日本の憲法は選挙に関して非常に大枠なことしか書かれていませんから、実質的に憲法改正に相当することを法律改正でやってしまったわけです。だから、この時は憲法改正相当のことが起こったということです。
だけど、それを揶揄する人がいて、「選挙制度改革に矮小化して」と言ったわけです。しかし、今になって「それは憲法改正相当の重大事件が起こったんです」と外国経験がかなり長い人が発言したり、学者の中でも「これは憲法改正に匹敵する」と指摘したりする人が出てきているということなのです。
その後、衆議院の場合ですが、新しい制度の下で選挙が行われています。そうすると、小選挙区と比例代表と両方で過半数の議席を取ることを狙うようになります。日本の場合、議席の過半数を取るために必要な票数は、ざっくりいうと2000万票で、過半数の議席を取る党は毎回それくらいの票は取っているわけですから、後はそれをどれだけ上乗せできるかということになります。
●日本の投票行動においては政党支持態度が強くない
曽根 この点に関して、投票行動を研究している人と一般の人の分析で違うところはどこか。一般の人は一貫して自民党、一貫して民主党あるいは野党、一貫して支持なし層と、毎回同じ行動をするんじゃないかと思っているのでしょうが、そこが投票行動を研究している人と違っています。つまり、一貫しているという人は全体の4分の1ぐらいしかいないのです。
―― 4分の1しかいないのですか。
曽根 はい。その他は行ったり来たり、行ったり来たりなのです。
―― つまり、前回は自民党に入れたけれども‥。
曽根 次は野党に入れたり、選挙に行かなかったりとか。だから、一貫して無党派なんていうのも、実は非常に少ないのです。
票でいうと、例えば、2000万票取った次の選挙では、そのうち何百万票かは外へ逃げる。だけど、外から入ってくる票がある。だから、合計すると一貫して、コンスタントに2000万票とか2500万票ほど取っている、ということになる。だけど、同じ人が同じ行動をしているわけじゃない。生物学者がいう「動態的均衡」に近い概念ですね。そのことが分からないと、無党派というものが分かりません。
もう一ついえば、日本の政党支持に関しては、投票行動の研究をしている人がよく使う用語なんですが、「政党支持態度」があまり強くないということです。だから、長期にわたり強固で一貫した政党支持はあまりない。例えば、...