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十万両の借財を十万両の蓄財に―財政のプロ・山田方谷

『理財論』~山田方谷の人間哲学~

田口佳史
東洋思想研究家
情報・テキスト
十万両の借財を十万両の蓄財に変えた備中高梁藩の山田方谷は、政治家、財政のプロというだけでなく、漢詩や書にも長けた多才な人物であった。そんな山田方谷が書いた書物に『理財論』がある。単なる財政論にとどまらない彼の人間哲学について、老荘思想研究者・田口佳史氏が語る。
時間:11:03
収録日:2015/01/13
追加日:2015/08/17
タグ:
≪全文≫

●財政改革を成功させた山田方谷は多才な政治家


 まずご紹介したいのは、備中高梁(岡山県高梁市)の山田方谷という人です。この人は、十万両の借財を8年間で十万両の蓄財に変えた人物で、藩政改革として非常に短期間で財政改革を見事にやり終えた財政家なのですね。

 ここで注意を払っておく必要があるのは、山田方谷が、今でいう経済学者だけではなく、政治家でもあった点です。そして、それだけではありません。なぜ借財を蓄財に変えられたかというと、鉄鋼産業を大いに隆盛にして、農機具をつくり、名産品として江戸近郊に売りに行き、大きな利益を上げたからです。ですから、その点では名経営者と言ってもいいですね。さらに、藩政改革をやった財務のプロですから、財政のプロと言ってもいい。加えて、この人は、すごい漢詩を詠んだことでも有名ですから、詩人と言ってもいい。そして、その書は、書家の作品と言ってもいいようなものでしたから、そういう意味でアーティストと言ってもいいのです。

 このように、幅広く、何ともいい難いほど太い人間が非常に多く存在したことも、教育環境においては、非常に重要だったのではないだろうか、という気になります。


●財政は大所高所から見る必要がある


 当時、高梁藩は、税収が少ない割に格式が高い藩であり、どうしても見栄を張ってしまうところがありました。それゆえ、どんどんと借財が多くなり、首が回らない、今でいうと倒産にまで行ってしまう状況にあったのです。そんな中で登場したのが、山田方谷でした。

 山田方谷は、今でいう財政論に当たる『理財論』という書物を書いています。これをまずご紹介したいと思います。

 「理財の密なること、今日より密なるはなし」、つまり、いま上の者から下の者までが「財政だ、財政だ」と言っている。「而るに邦家の窮するは、今日より窮するはなし」、つまり、藩全体がそのことばかりで頭がいっぱいで、ここからも取るのかというぐらいに税の取れるところならどんなところからでもどんどん取っている。さらに、切り詰めて切り詰めて、支出をどんどん切っている。しかし、現状は全く変わらない。

 これは、当時の高梁藩の話ではなく、何か今日の日本の話ではないかと思えるところがあるわけです。なぜこうなっているのかというと、「天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず」と山田方谷は言っています。つまり、物事を裁くというときに一番重要なのは、大所高所から、もっと広く大きな観点でものを見ていくことであり、問題の渦中に入ってしまっては、その問題にことごとく屈してしまう、服従してしまう、してやられてしまうと言っているわけです。

 そういう観点から見ると、いま理財の担当者はことごとく財の内に屈している、理財という財政にしてやられている。財政は天を突く大きな入道のようなもので、それに全部してやられていると言うわけです。したがって、もっと客観的に遠くから全体として、その入道を取り巻く状況はどうなのかを見なければ、対処できないと言っているのです。


●理財に屈すれば、国は廃れる


 そのためには、いま何がいけないかというと、世間一般が異常に悪くなっていることです。なぜ悪くなっているかというと、「金がない、金がない」「藩が重大事になっている」「今は緊縮財政になっている」と言って、それを理由として全部が奮わなくなっているからだと言うわけです。「風俗は日に薄くして、敦くすること能わず」とは、要するに、どんどん徳の重要性や人間としての重要性を言わなくなっている、ということです。そんなことを言っている暇はない、今は金だということになるわけです。「官吏は日に汙(けが)れ、民物は日に弊れて」とは、要するに、役人は役人として毎日「私は苦労している」というけれど、それは財理に屈しているということで、「民物は日に弊れて」とは、民間、大衆はそういう国家を見て、国家がそうなら自分も思うようにやっていくのがいいだろうとやけになってくるということです。

 そういうことで、「文教は日に廃たれ」は、文学・学問、それから教育はどんどん閉鎖的に、非常に視野が狭くなってきているということで、「武備は日に弛んで」は、平和ぼけということです。こういうものを叱正する言動がないわけではないけれど、そのときの言い訳が「何といっても財用が足らんのだ」で、「此に及ぶに暇あらんやと曰ふ」、つまり、そんなことをやっている暇はないと言っているわけです。


●問題解決の鍵は国家のあり方を示すこと


 つまり、財政とは国家の中で行われていることだから、まず見なくてはいけないのは、国家自体がどのようなあり方をしているのか、つまり、大法、原理原則として、国家のあるべき姿はどうなのかということで、その中に綱紀という国の根...
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