●「一国二制度」という言葉に代表される中国独自のダブルスタンダード
前回は、いわば中国は王権や文化の中心であり、その周辺に王権がどんどん拡大していき、それを尊敬してくれればいいという考え方が、中国の本質であるという話をしました。
では、そういう中国であるとすると、どのような問題が残ってくるのかということになります。つまり、確固たる中心はあるのですが、今度はその中心に対して、中国そのものが、今の言葉で言うところのダブルスタンダード、二枚舌を使う必要が出てくるわけです。
それはどういうことかと言うと、今の時代に振り戻して言えば、例えば「一国二制度」という言い方があります。これは、特に香港が返還されるときに、「香港は資本主義的なことをやってもかまわないし、自由主義的にやってかまわない。中国本土のやり方と違う制度があってもよろしい。しかし、中国なのです」ということです。このような姿勢に対して、一国二制度という言葉を使ったわけですね。
そうすると、例えば、われわれ日本人であれ、アメリカ人であれ、フランス人であれ、ドイツ人でもいいのですが、近代の主権国家に住んでいる人間は、「一つの国に制度が二つあるといったことはあり得ない」と言って、非常に驚いたわけです。しかし、中国の歴史から見れば、そのようなことはもう2千年、3千年もやっていることなのです。
●戸籍や改革開放、先富論も二層制
例えば、今だって中国大陸の内部において、戸籍について言えば、都市戸籍と農民戸籍というものがあるでしょう。つまり、都市と農民に分けてしまっているのです。
あるいは、政治的には「社会主義、つまり一党独裁社会主義体制をやる」としながら、しかし、経済は「自由主義経済ないし資本主義経済でもかまわない」ということで、開放改革をやると言っているのです。
これも、言ってみれば一国二制度ですね。中国の中においては、「政治は社会主義でやる。経済は開放改革でどこにもないような自由な資本主義をやる」ということで、これは一国二制度になっているわけです。
また、鄧小平が言った、「先富論」という言葉があります。これは、「豊かになる者は先に豊かになろう」という意味です。誰かが豊かになるということは、当然、誰かが貧しくなるということですから、それはほかの国から見れば「なんという言い方だ」と思うわけです。しかし、中国の歴史では、常に一国二制度的な二層制があるので、中国社会の中では受け入れやすくなっているわけです。
●化外の民・農民の心に火を付けた毛沢東の言葉-「農村が包囲する」
そういう文脈の中で、ものすごく革命的なことをやった人がいます。それは誰かと言うと、毛沢東なのです。では、毛沢東がなんと言ったのか。
中国は一つの国民としても、農民戸籍と都市戸籍と分かれているわけで、完全に分断しています。そこで毛沢東が言った有名な言葉が、「農村が都市を包囲する」ということです。これが、やはり中国の毛沢東革命の一番すごい言葉なのです。
都市部の住民というのは、歴史的に見ても、王朝があってその周辺にいて商売をやったり、官僚であったりするわけです。一方、農民というのは、2千年も3千年も前から常に農民であったという、そういう二層になっているのです。そこで、毛沢東という人が初めて「農村が都市を包囲する」と言ったのです。
つまり、中国という全体社会の中で、農民という化外(けがい)の民、すなわち、中国文明の恩恵から一切離れたところにいて、はるかかなたに中央の王様がいる、光輝く文明がある、そういった化外、外側の人たちも中国人であるからして、「農村が都市を包囲する」と言って、彼らに火を付けたのです。中国3千年あるいは4千年の歴史の中で、毛沢東がそのことに初めて気付き、「化外が包囲するのだ」ということを言ったのです。
一国二制度は、人口構成論からもあったわけですが、化外の民たる農民、中国全土にいる農民に火を付けて、「お前たちが包囲するのだ」と言う。毛沢東の「地方が包囲する」「農村が都市を包囲する」という一言で、中国に歴史上最大規模の大革命運動が起こったということには、そのような構造があると言えると思います。
●歴史的な習性とも言うべき中国の二重構造の把握が必須
ですから、歴史の中にある国境観とは別に、中国は常に二重構造を持っているということを理解しないと、なかなか中国を理解できない。尖閣の問題でもそうです。日本側は常に近代国家として国境の線引きをしなければいけないと考えます。しかし、中国から見れば、あいまいでいいし、係争地であるということを認めればいい。
あるいは、海の国境についても、中国は今、東シナ海に軍事力を増強しているとかいろいろな言い方がされている。フィリピンやベトナムとの係争がある。しかし、彼らに...