●習近平が、相当激しい日本批判を行っている
これから中国の今について、何回かに分けて話したいと思います。たまたまこの前の7月7日、盧溝橋事件が起こった日に、北京の郊外・蘆溝橋の中国人民抗日戦争記念館で、習近平国家主席が相当激しい日本批判を行いました。これは異例のことです。この記念館の開館20周年、25周年のお祝いでは、国家主席および政治局常務委員が表敬訪問する程度でしたが、先日初めて国家主席が、一発の銃声で日中を全面戦争にした盧溝橋事件について、それが起こった場所で本格的に日本を批判したのです。
2014年7月7日は、盧溝橋事件が起こってから77回目の記念日になります。7、7、7、7と非常に数字の並びが良いということもあって、そのようなことをしたのだと思います。
それから、9月18日は満州事変が始まった日で、中国の歴史では「9・18」と言いますが、この日もおそらく瀋陽の九・一八歴史博物館に国家主席が赴き、同様の演説をするのではないかと思われています。
また、12月13日はいわゆる南京大虐殺が始まった日ですが、今年から中国では、満州事変記念日の9月18日と、南京大虐殺記念日の12月13日を国の指定する祝日にすることが決まっています。日中戦争に関わる日を休日にして、大々的な式典を行うわけですから、当然12月13日にも、おそらく習近平は日本に向けて相当厳しいスピーチをするでしょう。しかも今の段階では、この式典に世界中の要人を国賓として招待するだろうと言われています。
一体なぜ今、中国は日中戦争の件で、国家元首が先頭に立って大々的かつ急速にスピーチするようになったのでしょう。彼はドイツやロシアなどの外国でも、日中戦争で約3500万人の中国人が戦死したことなどをアピールしています。
一般的に日本では、習近平が際立った反日政治家だから、日本に対して厳しいことを言っているのだと考えられていますが、それは必ずしも正しくないと思います。ではこれから、中国の反日姿勢の原理、原則、根本にある理由が何かをお話ししたいと思います。
●何度も外敵に支配されてきた中国の歴史の記憶
中国との歴史問題を考える場合、必ず「歴史認識」という言葉が出てきます。中国が言う歴史認識という言葉の根本には、「15年に及んだ日中戦争は、中国にとっては明らかに日本に侵略された戦争だから、この問題に関して日本は一言の弁解もできない」という見方が含まれています。
ところがややこしいことに、歴史認識という言葉の他に、もう一つ「歴史の記憶」という極めて重要な概念があります。中国の歴史を振り返ってみると、古代以来、例えば漢の時代なら匈奴や遊牧民族などですが、常に北方や西方から頻繁に侵略を受けて何度も国土を蹂躙された経験があります。外敵が中原に押し寄せてきて、王朝をつくるという歴史が繰り返されてきたのが中国なのです。
ですから中国には、外国から相当ひどい目に遭ったという歴史の記憶があります。外国というのは、例えば元、遼、金、そして最も新しいのが清を築いた満州族です。満州族も北方の遊牧系民族で、彼らが中国全土を支配して、中国史上最大の版図をつくりました。そのように、外から来た人たちによって支配されるという歴史の記憶が非常に根強く残っている国なのです。
●中国共産党のレジティマシーが問われている
このような歴史の記憶あるいは歴史認識という言葉を、一昨年あたりから中国が頻繁に使い出した理由は、王朝を倒してできた中国共産党が、今後もこの国を支配する正当性、レジティマシーを問われているからです。
最初、共産党政権ができたときは、とにかく外敵を全部駆逐して中国全土を統一する必要がありました。100年以上続いた植民地支配から脱して、最終的には日本を追い出して中国を統一しました。そのことによって、共産党が政権をとるレジティマシーがあったわけです。
その後、一党支配に対する批判が出てくると、共産党は「中国を豊かな国にする」と言って、猛烈な改革開放政策を実行し、世界有数の経済大国を目指しました。結果的に、飢えて死ぬ人のいない中国が初めてできました。この改革開放政策の間は、共産党が政権を維持する正当性を強引に維持できたのです。
ところが、開放改革がほぼ終わり、安定経済に入った現在、中国は世界の中では経済の強い国になった一方で、成長率が弱まり、貧富の格差がどんどん増大してきました。その中で、共産党がこれからも中国全土を支配する正当性が今、本格的に問われているのです。
●習近平が目指すのは「中華の偉大なる復興」
そこで習近平体制がはっきりと意識したのは、次のようなことです。中国共産党は、毛沢東の時代に中国全土から外国人を追い出し、鄧小平の時代に中...