●今年と来年は、日中の戦争の記念日が目白押し
前回、中国が使う「歴史認識」あるいは「歴史の記憶」という言葉について、概略をお話ししました。それで、一体どのようなことが起こり得るかですが、今年の7月で、第1次世界大戦が始まって100年になります。それから、日清戦争開戦から120年です。来年は、第2次世界大戦終戦70周年になります。さらに、これが日中関係にとって最大の出来事ですが、日本が「対支(対華)21カ条要求」を行って100年という節目の年になります。
なぜか今年から来年にかけて、中国が歴史認識あるいは歴史の記憶を全国民に呼び戻すのに相応しい記念日が、目白押しなのです。例えば、今まさに迎えている日清戦争開戦後120年。われわれは、その日清戦争の真っ最中に尖閣諸島を閣議決定で日本の領土にしました。それを今、中国は国連などで、尖閣諸島は日本が日清戦争中に盗み取ったもので、勝手に領有権を主張しただけだから、領有権は無効だと訴えています。そのようなことが起こった年から数えて120年になるわけです。
日清戦争の後、下関条約を締結したときに、中国は日本に対して屈辱的な賠償を行うことになりました。中国の税収の2年分ほどの賠償金を払い、台湾、澎湖諸島、大連の一部を譲渡したりしました。
今までの歴史認識だと、このときの中国の指導者だった李鴻章は売国奴だと思われてきました。ところが2014年7月中旬から、李鴻章が生まれた安徽省の合肥というところでは、李鴻章をめぐる大きなシンポジウムが開かれています。
なぜかといえば、おそらく「李鴻章も、徹底的に日本と戦った人だ」と見直されたのだろうと思います。以前は、李鴻章がだらしないから日本に負けたという見方でしたが、そうではなく、彼も日本に抵抗した一人だと再評価されているのです。今、中国ではそのような見直しが次々に行われています。
●日本は青島攻撃と対支21カ条要求を行った
もっと大変なのは来年の2015年で、日中関係にとって最も重要な年になるでしょう。第1次世界大戦が始まった1914年、日本は、日英同盟を結んでいましたから、イギリスのために戦争に参加しようとしました。しかし、いくら何でも当時、ヨーロッパの戦争に日本から兵隊を送るわけにはいきませんでした。
そこで、山東省青島にあるドイツの租借地の攻撃を決めました。ドイツの権益だった青島には、ドイツ軍の兵隊が何千人かいたのです。それから、南洋諸島にあったドイツ領も同様に攻撃しました。その結果、日本軍が青島を支配しました。中国からすれば、尖閣諸島同様、青島もヨーロッパの戦争を口実に一度は日本に奪われた地なのです。来年は、その行為から100年になります。
実はそのとき、列強が中国に関心が薄くなっている隙を見計らって、日本は「対支21カ条要求」という途轍もない要求を中国に突きつけています。中国は到底のめるわけがありません。しかし、青島にはすでに日本軍が入っています。ヨーロッパ諸国は大戦にかかりっきりで、日本の行為に対して強く出ることができませんでした。ただアメリカだけが日本はやりすぎだと間に入り、そのため日本の要求は多少トーンダウンしたのですが、いずれにしてもそのようなことが起こってしまいました。
来年が、この対支21カ条要求から100年となる年。たいがいの歴史家は、これが日中戦争の発火点になったと言っていますし、中国もやはりそう考えています。
●好戦的態度や青島領有に断固反対した石橋湛山
日本の中にも、この問題を非常に深刻に考えた人がいます。石橋湛山です。1914年に第1次世界大戦が始まるとき、湛山は直ちに文章を書きました。
1914年、大正3年8月15日の社説に「好戦的態度を警む」と題し、「戦争状態を欧州に限定し、東洋の拠点を攻撃するな」と説いています。石橋湛山という人は、日本がこれに便乗して何とか第1次世界大戦に参加しようとしているときに、第1次世界大戦の連合国の主たる敵であるドイツやオーストリアが持っている権益を一切攻撃するなと早くから書いたのです。
しかし、その意見を聞かずに、日本は青島を攻めてしまいます。すると、3カ月後の11月初旬、今度は「青島を断じて領有すべからず」という題で、「青島を攻撃したとしても、それを日本が自分のものにしてはいけない」という文章を書くのです。
どのような論調かといいますと、青島のある山東方面の領土経営を行えば、中国に対するわが国の侵入は明白となり、列強を動揺させるというのです。この示談で青島を日本が取ってしまうと、列強に対して、日本が中国に対する領土的野心があることをはっきり宣言することになるから、断じて止めたほうが良いと書いたのです。
しかし、世論はそのよう...