●海外では非常に身近な存在であるノーベル賞
今日はノーベル賞のお話をしたいと思います。
日本では、ノーベル賞は大変権威があって、ノーベル賞を受賞した人が神様のように扱われますが、そんなノーベル賞が身近にあったという話から進めます。
今から10年くらい前のことです。島津製作所の田中耕一さんがノーベル賞を受賞した日に、ちょうどスウェーデン大使にお会いする約束がありました。
大使は、以前からの私の親しい友人で、本国に帰るということで挨拶に行ったところ、「今日は朝から報道陣が来て、大変だったんですよ」と言われたのです。どういうことかというと、「日本では、ノーベル賞を取ったと言うと、報道陣がたくさん来て新聞の一面に出る。こういうありがたい国で大使をすることができて大変助かる」というような話でした。
そうなると、日本のようにノーベル賞を報道する頻度が多い国が普通なのか、それともさらっと報道している国が多いのか、そういった疑問が出てくるわけです。
そこで、昔の話になりますが、1975年、私がアメリカのイェール大学にいたときのことです。ある日、友だちのオランダ人学生にばったり会って、「これからどこに行くんだ?」と聞いたら、「うちの先生のパーティーに行く」と言うのです。「パーティーとは?」と聞くと、「先生がノーベル賞を取ったから、そのパーティーです」と言うわけです。
それは、(チャリング・)クープマンスというオランダ系の学者のノーベル賞受賞パーティーでしたが、彼は、われわれが言うコンパに行くような様子でした。つまり、そこへ行くのは当たり前だという感じだったのです。私はそのパーティーへ行ったわけではないのでよく分かりませんが、ノーベル賞受賞記念パーティーとなると日本では大変なことですが、そのときは学生相手の簡単なパーティーという感じでした。
もう一つ、エピソードを紹介します。今から10数年前、1999年だったと思いますが、私がハーバード大学にいたとき、一戸建ての3階の屋根裏部屋を下宿のような形で借りて住んでいたのですが、たしか大家さんのおばあさんの80歳の誕生日のときでした。その大家さんのおばあさんの旦那さんがMITの元教授だったものですから、ハーバードに近い大家さんの家にいろいろな知り合いが来るのですが、ある人が「今日、ソール・ベローが来ている」と言ったのです。ソール・ベ...