中国
中国・前漢の歴史家で、『史記』の著者。武帝の時代、父の司馬談の後を継いで太史公の職に就き、歴史の編纂を行う。匈奴に降った李陵を弁護したため宮刑に処せられる。のちに、父の遺志を継いで「史記」を完成させた。
ヨーロッパ
ドイツの宗教改革者。1517年、『九十五箇条の論題』を発表し、宗教改革運動を開始させた。その後、破門となったが、ドイツの諸侯の保護を得て『聖書』のドイツ語訳を完成させる。これにより民衆のもとに『聖書』が行き渡るようになり、宗教改革を促進させることになった。
中東
オスマン帝国末期の軍人。「三月三十一日事件」の鎮圧やバルカン戦争においても活躍。第1次世界大戦の東部戦線方面総司令官。民族解放運動では国民政府をつくるために努力し,大国民議会ではエディルネ選出議員。 1938年共和人民党に入党し,国会議員をつとめたが,のちケマル・アタチュルクとの抗争に敗れ,政界から引退した。
アメリカ
アメリカの黒人運動指導者。本名マルコム・リトル。黒人運動団体であるブラック・ムスリムで活躍したが,1964年に脱退。「ムスリム・モスク」と「アフリカ系アメリカ人統一機構」を設立した。65年、演説中に射殺された。
南米
アルゼンチン出身の革命家。本名はErnesto Guevara de la Serna。1955年にフィデル・カストロに出会い、1956年カストロらとともにキューバでゲリラ戦を開始。キューバ革命の成功に尽力する。カストロ政権で要職を務めたのち、ボリビアの革命活動に参加。1967年、ボリビア政府軍に殺された。
東南アジア
シンガポールの初代首相。第2次世界大戦後,英国留学を経て,1950年シンガポールに戻り、イギリス植民地からの独立運動に身を投じる。1965年、シンガポールがマレーシアから分離独立した後、90年まで首相として政権を担い、シンガポール繁栄の礎を築いた。
日本
維新の三傑の一人で薩摩藩出身の志士。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導者となして薩長同盟を成立させる。戊辰戦争では大総督府参謀として指揮、江戸城無血開城に導く。明治政府では要職についたが、征韓論が受け入れられず下野。その後、西南戦争で政府軍に敗れ、城山で自刃。
明治時代の官僚。文久3(1863)年、伊藤博文、井上馨らとイギリスに留学した、いわゆる長州ファイブの一人。維新後、大蔵省に入り、大蔵大丞などを経て明治14(1881)年、造幣局長として近代的貨幣制度を導入した。明治16年からは、花見の時期に造幣局構内を一般に開放し、「桜の通り抜け」として今も市民に親しまれている。
実業家。倒幕運動に参加したが,のち一橋家に仕え幕臣となる。維新後、新政府では大蔵大丞を務め、国立銀行条例制定などに尽力する。明治6(1873)年に大蔵省を辞した後、民間人として活動を続け、実業界の指導的役割を果たす。
大正・昭和期のジャーナリストで政治家。東洋経済新報社社長を経て、第二次大戦後、蔵相・通産相を歴任。昭和31(1956)年、自由民主党総裁となって石橋内閣を組織。病のため約2か月で総辞職。中国やソ連との交流促進に尽力した。
