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アメリカの排日移民法…なぜ渋沢栄一は悔し涙を流したか

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(3)渋沢栄一の「悔し涙」演説

渡部昇一
上智大学名誉教授
概要・テキスト
渋沢栄一
大正13年、アメリカで排日移民法ができたとき、親米的だった学者や思想家、実業家の間にも反米感情が現われた。財界の大御所・渋沢栄一は、帝国ホテルで排日移民法成立に憤る演説をしているが、悔し涙を流しつつ語ったといわれている。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第3回。
時間:02:31
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/14
≪全文≫
 いまの日本人がわからなくなっているのは、このアメリカによる日本からの移民禁止に対して、当時の日本人が抱いた悔しさだろう。

 大正13年(1924)にアメリカで、いわゆる排日移民法として知られる新移民法ができたとき、アメリカ大使館の隣の井上子爵邸で切腹する人さえいたのである。元来は親米的だった学者や思想家、実業家の間にも、反米感情が現われた。

 日本の近代資本主義の発展に貢献した財界の大御所である渋沢栄一でさえ、大正13年4月17日に帝国ホテルで開催された汎太平洋倶楽部の例会で、アメリカでの排日移民法成立に憤る演説をしている。悔し涙を流しつつ語ったといわれる演説である。対日移民法ができるまでの流れや、当時の雰囲気がとてもわかりやすい演説なので、ずいぶん長くなるが主要部分を抜粋したい(読みやすさに配慮して、文字遣いや表記を適宜変更し、読点や改行などを施している)。

 〈私は少年の頃よりいささか漢籍を修めていたために、おのずから内を尊び外を卑しむの風になずみ、その極み、当時の攘夷論者の中に加わって、皇室を尊崇し、外国を排斥するの説を主張したのであります。しかし、ただ論じただけでありますから、大いなる効果はなかったけれども、これは全然間違ったこととは申されないのであります。
 しかして、その頃の攘夷論者は何を目的として外国を非難したかというと──一昨年までわが同盟国であったイギリスのことを申すのは心苦しいことでありますが、彼の支那の道光年中にイギリスと支那との間にいわゆる阿片戦争が起こった。その事柄の詳細は知りえませんけれども、イギリスのほうが無理であったと思います。つまりイギリスから支那人民の害となる阿片を売り込んで、その結果戦争となって、結局支那は土地を割譲して和を講じたのであります。
 この阿片戦争のことを知った当時のわが有志家は、これは日本のために大変だ、アメリカもイギリスと同じことをやるのではないかと思うて、痛切に攘夷論を唱えたのであります。
 然るに、その後私は家を出て京都に上り浪人となり、それから一橋家の家来となってだんだん境遇が変わるとともに、外国を知るべき機会を得まして、明治維新の前年にはフランスに渡航したが、その頃から攘夷論の夢が醒めました。ことに爾後のアメリカとの国交を観察すると、同国は正義により、人道を重んずる国であるということを、...
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