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人種差別といえば、第一次世界大戦後のパリ講和会議で新しく国際連盟をつくるための委員会において、日本が「人種的差別撤廃提案」をしたことは知る人も多いだろう。日本は、「各国均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに依り締約国は成るべく速に連盟員たる国家に於る一切の外国人に対し、均等公正の待遇を与え、人種或いは国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す」という内容を規約に盛り込もうとしたのである。
国際会議において、人種差別の撤廃を訴えたのは日本が初めてであった。このことは、ぜひ強調しておくべきことである。
しかも日本は無理な主張をしてはいない。アメリカの国内事情なども斟酌して、期限など設けずに「なるべく速やかに」と書いているのである。現在から見れば崇高な意義のあることを、真っ正面から、しかし控えめに打ち出したのだ。
この提案に賛意を寄せる心ある人々も多かった。だが、この案には反対が出されて、流されることになる。当時、植民地を抱えていた主要国からすれば、人種差別撤廃など、とても呑めない話であった。人種差別の国・アメリカでは上院で「人種差別撤廃提案が採択されたならば、アメリカは国際連盟に参加しない」という決議まで行なわれていた。当時の国際社会では、「日本は白人を中心とする世界秩序を混乱させるために、あえてこんな提案をしているのではないか」という疑心暗鬼さえ持たれたのである。
それでも日本は食い下がった。国際連盟委員会の最終会合で日本は、連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」という文言を入れる修正案を提案したのである。この場でも反対意見が出されたが、日本は「これは理念を謳っているもので内政干渉ではない。これに反対するのは他国を平等と見ていない証左だ」と主張して採択を求めた。
その結果、賛成したのは日本、フランス、イタリア、ギリシャ、セルビア、クロアチア、チェコスロバキア、ポルトガル、中華民国。反対はアメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニアであった。条文に規定がない内容を前文に入れるのはおかしいという理由での反対もあったが、それでも賛成票が反対票を上回ったのであった。
だが、議長だったアメリカのウィルソン大統領が、こう述べる。
「全会一致でないので、本修正案は否決された」
日本は「多数決で...
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概要・テキスト
第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃の提案を行っている。実は、国際会議でこういったことを訴えたのは日本が初めてであった。だが、この案は反対され、流されることになる。当時、植民地を抱えていた主要国からすれば、人種差別撤廃など、とても呑めない話であった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第4回。
※本項には該当映像がありません。
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『1919年6月28日、ベルサイユ宮殿、鏡の間での講和条約の調印』