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最近の事例でリーダーのガッツのなさを痛感するのが、福島第一原発事故だ。菅直人首相をはじめ、当時の政府・民主党のリーダーたちの体たらくは、改めて指摘するまでもない。当時の東電社長だった清水正孝氏も、事故直後に立ち上げられた東電・政府の合同対策本部を一週間にわたって離れ、その後入院して公の場から一時期姿を消した。
それから、こういったら語弊があるかもしれないが、他の電力会社の社長もみなガッツがなかった。悪名高い菅直人首相が、静岡県御前崎市の浜岡原発について、運転停止を命令するわけにはいかないから、海江田万里経産相を通じて運転停止を要請したのだが、電力会社は慌ててその要請に応じ、運転を停止してしまった。
これが松永安左エ門なら、「千年に一度の津波は、めったに起こるものではありません。津波が来ても、浜岡原発は老朽化が著しい福島第一原発と方式が違いますから、水をかぶりません。念のために、さらに守りを堅くします」と毅然とした態度を示していただろう。福島第一原発事故後に日本の原発が止まってしまったため、2013年度には火力発電への依存度が約9割になり、年間3・6兆円、毎日百億円の燃料費が余計にかかるようになった。あのとき原発を止めていなかったら、そのぶんの国富を、中東を中心とした産油国につぎ込む必要もなかった。
これまで戦前の例と戦後の例をそれぞれ挙げたが、ガッツを考えるときに、一つだけ違いを踏まえておいたほうがいい点があると思う。それは、戦前の日本が現在と大きく異なる点の一つとして、農村もしくは地方の裕福な家から偉い人が出ているケースが少なくなった、ということだ。
戦前の偉い人たちの場合はまだしも、上とは異なる意見を述べて出世が止まったあと、職を辞して帰郷しているケースがわりとあった。昔は、そういう人たちの実家はたいてい金持ちだったから、家でごろごろしていても一向に構わない。そのうちに情勢が変わり、また中央に呼び戻されて自分のことをうまく使ってくれる上司の下でバリバリ働くことも少なくなかった。明治の頃にはよくあった話だが、いまはおそらくそんなことはないだろう。
だから私は相続税や贈与税、さらには世界的なベストセラーとなった『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティ教授がいう富裕税のような財産税をかけて、国民の富を吸い上げるような政策は間違っていると思うのである。財産税がなければ、もっと世の中がおおらかになり、正しいことを、職を賭して貫く勇気のある人間が、もっと出てくるような気がする。
ともあれ、いざというときに何が正しいのかが、自分でもはっきり見えていればガッツが出てくると、私は思う。武士ならば、いざというときには腹を切るという覚悟こそがガッツだということになる。しかし現代を生きる人々はそれが見えないから、その場しのぎの対応をするのだろう。どのみち、愛国心や公に殉じる心も持たずに、出世だけを目的とするようではガッツが出ないのはいうまでもあるまい。


