●自民党を二度除名された民権派の石橋湛山
次に、「失われた保守の知恵」ということで、石橋湛山という人の思想が、完全に忘れ去られている。
私は、石橋湛山の考え方というのは、日本の大きな知的財産だとまで思っていて、石橋湛山についての評伝を書いた。『湛山除名』というタイトルで書きまして、いま岩波現代文庫に入っている。石橋湛山の孫弟子を、田中秀征という人は自認しているわけです。田中秀征の考え方と石橋湛山の考え方を、出処進退のようなものをダブらせながら、『湛山除名』というタイトルで書いた。
なぜ『湛山除名』というタイトルにしたかと言うと、実際に湛山は、二度も自民党から除名されているのです。つまり、国権派と民権派の流れということを申し上げましたけども、国権派の流れからすれば、民権派というのは、いわば獅子身中の虫というようにも映るわけです。共産主義を許容する容共派というような人たちだと。反共産主義の国権派から見れば、とんでもないというように見える。
●言論で世に訴えた石橋湛山の小日本主義
石橋湛山という人も、またジャーナリストの出身。東洋経済新報社、現在も残る東洋経済で、『週刊東洋経済』によって言論で世に訴えていた人。この人の評伝を書くときに、私がやはり石橋湛山の言論の中で一番すごいなと思ったのは、元老の山縣有朋という、いわばさまざまな老害の政治を続けた人ですが、その山縣有朋が亡くなったときに、石橋湛山は、「死もまた社会奉仕」という痛烈な文章を書いたわけです。「死ぬこともまた社会奉仕だ」と。「山縣有朋のような人間が亡くなることは、いわば社会のためにいいのだ」というようなことを書いた。一応私も辛口評論家だとか言われますけれども、そこまでは書けないと、飛び上がったような覚えがある。「死もまた社会奉仕」だと。
石橋湛山という人は、あの軍国主義、軍部が大きな力を持っていたときに、軍部批判の文章を書き続けた。大日本主義の幻想というのは、つまりは大日本帝国の幻想ということです。 石橋湛山の主張というのは、「小日本主義」というふうに言われますけれども、小日本主義というのは、別に小さければいいという話ではなくて、軍備を持って領土を拡大することにエネルギーを使うべきではない。そうではなくて、いわゆる貿易とか商売、それを友好的にやるほうがずっと安上がり、無駄遣いではないのだ...