●城山三郎と渡辺淳一の意外な親交
“失われている「保守の知恵」~友好の井戸を掘った人たち”の城山三郎さんの話を続けます。
城山さんのお別れの弔辞で、私が「護憲と勲章拒否が城山三郎の文学の核だ」と言った話を前回しましたが、このとき、私のほかには、このあいだ亡くなった堤清二さん、辻井喬さん、そして渡辺淳一さんが弔辞を述べました。少し異色の三人でした。硬派と軟派の極致のような二人ですので、少々不思議な気もしますが、渡辺淳一さんと城山三郎さんは結構仲がよかったのです。
その渡辺淳一さんが、弔辞で城山さんについての面白い話をしました。城山さんが亡くなる7年前に城山さんの奥さんが亡くなってしまい、そのあと、城山さんは、ショックのあまりアルコールしか受け付けないような状態になり、痩せていきました。見かねた渡辺淳一さんが、あるとき「城山さん、再婚したらいいのではないか」とすすめて写真を持っていったそうです。すると、城山さんはその写真を黙って見ている。これは脈があるのではと思った渡辺さんが「城山さん、どうですか」と言うと、城山さんが「この人は、君のお古ではないだろうね」と言ったというのです。お別れの会であるにもかかわらず、会場は満場笑いに包まれたということがありました。
●総理大臣にも怖めず臆せず、まっすぐ切り込む
さて、そのお別れの会の列席者に中曽根康弘さんがいました。城山さんは、テレビ番組「総理と語る」に出演して中曽根さんと対談をしたことがあり、そのときにかなり痛烈なことを言っています。当時首相だった中曽根さんに、城山さんは「サミットを広島で開け」と提案するのです。すると中曽根さんは「そういうエモーショナルなところで開くのはどうも」というような返答をしたわけです。しかし、城山さんは「そうではない」と。「広島で開くことが核廃絶や戦争廃絶につながるのだから」と。相手が時の首相だろうが何であろうがまっすぐに切り込む人なのです。そこが城山三郎の城山三郎たるゆえんなのです。
普通、総理との対談番組などというものは、たいていあまり辛いことを言わない人を総理の対談相手に採用するものです。中曽根康弘という人は、そういう意味で、城山さんを対談相手に起用しただけの度量はあるということでしょう。しかしやはり城山さんは城山さんで、全然怖めず臆せず「やはり広島でサミットを開く...
(佐高信著、光文社知恵の森文庫)