●自由主義と保守主義は両立する考え方
―― そのような中で今、保守主義という言葉も出てきました。(そこで、このスライドで)本来の保守主義はどういうものか、また保守主義と自由主義はどのような関係かという興味深いご指摘をいただいています。
柿埜 ええ。保守主義というと、「自由主義と反対」「リベラルと保守は対立する」といった発想が非常に多いのです。特に日本の保守主義といわれる方々は、どうもそういった傾向が強いかなという気がします。ただ、保守主義と自由主義は本来、対立する概念ではないのです。
―― 違うのですね。
柿埜 「保守主義の父」といわれるのは、エドマンド・バークというイギリスの政治家で思想家だった人です。ですが、これは実は後世につくられた評価で、バーク自身は保守党(トーリー党)ではありません。その逆で、ウィッグ党(後の自由党)の、しかも改革派のメンバーだったのです。
―― 普通であればトーリーだと思ってしまいますよね。
柿埜 違うのです。この点は、ものすごく勘違いをされています。彼は実は、名誉革命後のイギリスの憲法にもとづく体制を擁護して、絶対王政と闘った人です。アダム・スミスを非常に尊敬していましたし、だから自由市場経済をとても支持している。保護貿易が支持されるような動きがあった時には、それを明確に反対しています。
(また、)彼はフランス革命には確かに反対でしたが…。
―― これが、いわゆる保守主義的なところですね。
柿埜 そうなのです。けれども、アメリカ植民地の独立は支持しましたし、私から見ても「この人は自由放任主義すぎるだろう」というほど、実は自由市場経済を高く買っていた人です。「地主が貪欲であっても、まったく問題ない。市場経済がきちんとあれば、貪欲であればあるほど、むしろ小作人のためにもなるし、消費者のためにもなる。何が悪い」という主旨のことが、本当に書いてあります。
―― 本当の自由主義ですね。
柿埜 バークは反動的な思想家ではないのです。バークは伝統などそういったものをとても大事にした人で、伝統や慣習は確かにその人らしさの一部ですから、そういうものを大事にすることは自由主義に反しているわけでもないのですね。だから、バークは意識的にはむしろ自由主義者だったわけです。
―― このあたりの整理をしておくと、「保守主義」に対する見方も変わってくるところがありますね。
柿埜 そうですね。
●自由主義と対立するのは「全体主義」
―― 次に、非常に重要なご指摘なのですが、では「自由主義」と対立するのは何かというと、これは明確に「全体主義」だということですね。
柿埜 そうです。「自由主義と対立するのが保守主義だ」と思っている方は誤解していると思います。本来の英米の保守主義は、自由主義と対立する考え方ではないのです。むしろ、その一部にすらなるものです。
自由主義と明確に対立するのは何かといえば、例えば人種差別のナチズム、ファシズムのような考え方です。こういった思想――「人間には権利などない。社会全体の国家や民族などといったものがあって、それに服従するのが国民の義務なのだ。市場経済ではなく、国家が全部行うのが素晴らしい。ユダヤ人は撲滅してしまえ」といった恐ろしい発想は、自由主義とはまったく相いれないわけですね。
―― 基本的には、ナチズム的な全体主義が保守主義っぽくいわれることもありますが、それは保守主義でもないですね。
柿埜 保守主義というよりも、あれははっきりいうと「右の革命勢力」だというのが私の理解です。実際に日本でも戦前には、あのような人たちはむしろ、ある種の革命派だと思われていたわけです。そういった人たちが本当に権力を乗っ取ってしまって、日本をとんでもない戦争に引きずり込んだのです。はっきりいって、これは明確に自由主義と対立する考え方です。
もう一つ対立するのは、共産主義です。共産主義も「プロレタリアート独裁」を掲げていて、自由主義とは明確に対立するわけです。独裁ですし、個人の権利は、労働者(プロレタリアート)の解放という大義のために、ほとんど解消されてしまうわけですね。「法の支配」などといったものも、この発想だと消し飛んでしまうのです。
事実、共産主義は本当に恐ろしい破壊をもたらしました。1億人が共産主義で20世紀に死んでいるのです。
●全体主義でむしろ「分断」がつくりだされる
柿埜 このナチズムや共産主義といった全体主義の発想と、自由主義の大きな違いは何か。例えば一つの民族、一つの階級、そういったものが正義であって、社会は全て、そのある階級、ある民族の利益のためにできている、というのが全体主義の世界観です。
つまり、ナチズムであれ...