●戦後の奇跡の復興を実現した「ネオリベラリズム」路線
―― 実際の政策を見ると、政府が大きくなりすぎない、政府を万能にはしない、だけれども市場に適切な介入をする、というのが戦後に出てきた自由主義的な流れであって、それが西ドイツ、あるいはイタリアの戦後復興の政策になります。実際問題、この時期に行われた西ドイツやイタリアの経済政策は「ネオリベラリズム」といっていいわけですね。
柿埜 そうですね、ネオリベラリズムです。のちのちネオリベラリズムというレッテルを貼られた人たちは、自分では「ネオリベラリズム」と名乗っていない人がほとんどなのですが、「ネオリベラリズム」と自分で名乗っていて実際に政治に携わった人たちは、後にも先にも、この時期の人たちだけです。
―― なるほど。
柿埜 戦後復興を担った西ドイツやイタリアの政治家、あるいはそれを支援した経済学者がそうです。
ネオリベラリズムという思想の代表的な人は、(西)ドイツですとリュストゥという人が最初に言いだしました。リュストゥやレプケ、彼らと親しかったエアハルトです。
エアハルトは経済学者でもあったのですが、のちに西ドイツの経済復興を担う経済大臣になり、首相にもなっています。
このエアハルトが行ったことが、ほんとうの新自由主義(ネオリベラリズム)です。エアハルトはしばしば「社会的市場経済」という言葉を使ったのですが、この「社会的市場経済」は今のドイツの考え方の基本になっているもので、これが実は本来のネオリベラリズムとイコールといっていいものです。
―― ここに先生が整理してくださっていますが、「政府が介入しつつ、独禁法も、社会保障(福祉)もやって、自由市場をうまく機能させる。これで価格メカニズムは維持していく。ただし物価統制などは撤廃し、自由貿易を推進する」、そういった動きだということですね。
柿埜 エアハルトが強調したのは、一つは独禁法を行って、市場経済を競争的にするということ。要するに、市場経済が独占的になるのを防ぐことに重点を置いているわけです。
彼がもう一つ、重点を置いているのは、自由な貿易をして、国外ときちんと取引をするということです。これは要するに、保護貿易というものはドイツがしばしば国粋主義と結びついていて、ナチスのようなものにつながったという反省があるわけですね。きちんと国外のいろいろな企業と競争をしてもらって(これも結局、独占が国内で起こらないようにするためです)、そうして新しい革新的なものが生まれてくるようにする、という政策を行うと。
ですから彼は、ドイツが自由貿易をすることは、ナチスドイツのような全体主義体制に戻らないために絶対必要だと言っていたわけです。
これも結局、同じことなのですが、そういった自由市場がきちんと機能するような条件をつくって、価格統制のようなもの(これが結局、経済を発展させない一番のガンだったわけです)を撤廃することを行うのが、ネオリベラリズムの中身だったのです。
●ネオリベラリズム路線は大成功だった
柿埜 これはイタリアだと、エウナウディ(彼も経済学者です)が中心となって、同じ政策を行います。
この結果はどうだったかというと、大成功です。
実はエアハルトは戦後復興を行うときに、占領していたアメリカ、イギリス、フランスの軍隊に対して「こういう政策をやるよ」ということを言わなければいけなかったのですが、彼らは「ドイツは滅茶苦茶に荒廃しているから、もうずっと統制経済で配給制のようなものをやらざるを得ないだろう」「自由市場などは全く必要ない」という考え方で、全然やる気がなかった。
ところが、エアハルトは「やります」と言って、ちょうど司令部が休日だった時に、勝手に価格統制を撤廃してしまいました。撤廃することを休みの日に決めて、どちらかといえば事後に通知するような形で行ったのです。
これを行ってから、(それまで)西ドイツの復興は遅々として進んでなかったのですが、急激に復興するわけです。
このエアハルトの政策は「西ドイツの奇跡」といわれて、現在のドイツも、このエアハルトがつくった社会的市場経済の路線を歩んでいます。非常にうまくいっている国なのです。
イタリアのほうは、「イタリアの奇跡」といわれる戦後復興が急激に進んだのですが、その後は、マフィアだったり、ポピュリスト政党が台頭したり、いろいろな不都合があって、今はそれほどうまくいっていません。でも戦後はイタリアも、ネオリベラリズム路線でやっていた時代は非常にうまくいったわけです。
実をいうと、日本もGHQが占領した後、戦後復興を池田勇人などが担っていくことになりますけれども、これはネオリベラリズム...