●ニューリベラリズム、ネオリベラリズム、リバタリアニズムをまとめると…
―― 今見たように、リバタリアニズムについても、本当にいろいろな見方があるということです。
ここであらためて、今まで見てきたニューリベラリズム、ネオリベラリズム、リバタリアニズムをまとめると、まずニューリベラリズムについては、人々が望ましい人生を送る(実質的自由を手に入れる)には、政府が経済に介入して大幅な再分配が必要だと主張する。場合によっては社会主義を支持することもある、ということですね。
柿埜 ええ。今の「アメリカ流のリベラル」は、基本的にこれ(ニューリベラリズム)です。
―― 日本でも、特に政治的に「リベラル」と言われる場合には、この色彩が強いですね。それに対してネオリベラリズムとは、社会主義と自由放任の両方を否定し、自由市場を活用しつつ経済を安定させるためには、福祉や独禁法などの制度が必要である、という中道派の考え方です。これは、どちらかというと今日の講義では、こういった思想グループというよりは戦後に行われた……。
柿埜 そうですね。どちらかというと、実践的な発想だったわけです。本人たちもさほど自分で「ネオリベラル」と名乗っていたわけではないのですが、それが途中から変なレッテル貼り、特に1990年代以降はレッテルになってしまって、よく分からない、とにかく「悪魔的な自由放任主義」のような意味になってしまっています。
―― 意味が分からない言葉になってしまったと。もともとは、先ほども先生が定義されたように「政府を万能と考えるか、政府は危ないと考えるか」程度の違いだということですね。
柿埜 それくらいのニュアンスですね。
―― そのような形でリベラルという言葉が混迷、混乱してきてしまったので、「リバタリアニズム」という言葉が出てきます。こちらは個人の自由を何よりも尊重し、それを妨げるような社会的規制にも経済的規制にも反対する。過激な立場は無政府資本主義だけれども、穏健派は古典的自由主義をとる。アメリカで「リベラル」という言葉が社会民主主義を指すようになったため、代わりに使われるようになったと。こういった整理になるのですね。
柿埜 非常に混乱が多いわけですが、整理すればだいたいそのようになります。
●「新自由主義」「新保守主義」は何を指す?
―― このような現状がある中で、しかし、さらに日本の場合、ますますもって混乱しているというのが、次の(スライド〈「新自由主義って何?」…「日本語の整理」が必要?〉の)ご指摘ですね。
柿埜 これは本当に、どうしようもないとしか言いようがありません。
―― ひと言でいってしまうと、今、説明したニューリベラリズムも、ネオリベラリズムも、リバタリアニズムも、日本語では「新自由主義」と訳されてしまっていると。
柿埜 そうなのです。これはどうしようもない問題です。リバタリアニズムについては最近、カタカナで区別されるようになっていますが、ニューリベラルとネオリベラルはどちらも「新自由主義」といわれるので、何をいっているのか分からなくなるわけです(笑)。しかも、「ネオリベラリズム」や「新自由主義」という言葉が滅茶苦茶な意味で使われています。
―― 言葉が何を定義しているのかも分からないと。
柿埜 私は、「新自由主義」という言葉はいっそ止めてしまって、この3つのカタカナの語をきちんと使い分けて、「ネオリベラリズム」「新自由主義」という言葉はなるべく使わないことにしたほうがいいのではないかと思っています。
―― 今まで見てくると、「新自由主義とは何ですか」と聞かれると、答えるのが本当に難しいことが分かります。
そこで、先生が同じような例として挙げているのが、「ニューライト」「ネオコン(ネオコンサバティブ)」です。これは、どちらも日本語では「新保守主義」と訳されています。
柿埜 これも本当に困ったことです。サッチャーやレーガンを「新自由主義」と呼ぶのも間違いなのですが、人によっては彼らを「新保守主義」と呼ぶこともあるのです。「新自由主義であったものが新保守主義と融合して……」などという、よく分からない文章もあったりする。「新自由主義」も「新保守主義」も、何のことだかさっぱり分かりません (笑)。
―― 「新保守主義」といったとき、日本の場合は、ニューライトなのか、ネオコンサバティブなのか、分からないということですね。
柿埜 「サッチャーやレーガンは新保守主義だ」というとき、彼らはニューライトではありますが、ネオコンではありません。ですが、日本では「(彼らは)ネオコンだ」と書いてある本がたくさんあります。