●冷戦後の「歴史の終わり」という楽観論
皆さん、こんにちは。第10回の講義では「冷戦終結と9.11同時多発テロの衝撃がもたらした変化」について論じてみましょう。
東西対立という冷戦構造の下では、何が脅威で、何が国益かは明確でした。しかし、東側陣営(音声では「東西」)が崩壊すると、脅威や国益は見えにくくなり、国際関係も流動化しました。グローバル化と情報技術革命がそうした変化を複雑で不透明なものにしたのです。冷戦後の国際政治の変化とグローバル化の流れを振り返ってみましょう。
1989年11月9日、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊しました。フランシス・フクヤマは、この歴史的転換を「歴史の終わり」と呼びました。つまり、人類が自由民主主義に向かうという世界の流れが主流となって、理性に支配される歴史の究極的な目標は自由であるとの哲学者ヘーゲルの歴史観が実現されるということです。
フクヤマの予想した通り、楽観論と「フラット化する世界」は、民主主義と市場経済が広がる平和と繁栄の世紀を約束したかのようでした。ヨーロッパでは、国家の主権や内政不干渉を柱とするウエストファリア・システムを乗り越えようとするヨーロッパ連合(EU)の拡大と深化が続きました。それは、ヘーゲルを含むドイツ観念論への系譜をつくったイマヌエル・カント(1724-1804)が著書『永久平和のために』で描いた「自由な諸国家の連合」という夢に向けて前進するかのようでした。
●市場経済化するロシア、「パクス・アメリカーナ」の時代
ロシアでも民主化と市場経済化の進展が期待され、G7サミットへの参加も認められました。唯一の超大国となったアメリカは世界を率いて湾岸戦争で勝利し、国際正義を実現しました。「世界の警察官」としてリベラルな国際秩序を支える意思と能力が世界に示された時でした。朝鮮半島や台湾海峡など冷戦の残滓が消えない東アジアでも、インドシナ諸国も加盟した東南アジア全域を包摂したASEAN、改革・開放を推進した中国などを中心に高い経済成長が続きました。
そんな中で起きた1997年のアジア通貨・経済危機は、域内の経済相互依存の高まりを認識させました。事実上の経済統合が進む中で、制度的統合への構築も始められ、その年に始まったASEAN+3(ASEAN+日中韓)首脳会議は、翌年、定例化さ...
(ワールドトレードセンターの崩壊直後の様子)