●キリスト教の衰退から国益概念の確立へ
皆さん、こんにちは。第3回の講義は「マキャベリとホッブズによる新しい『国家』観」についてです。
古代ギリシャの都市国家の時代から、国家は世界を構成する主要な独立政治社会として存在してきました。
しかし、ヨーロッパでは、キリスト教共同体としての中世が長く続き、国家は沈滞していました。ようやく16世紀になって、宗教改革や宗教戦争によって、中世の秩序を支えていた宗教的規範意識が希薄化し、ローマ教皇と教会の権威も凋落しました。ヨーロッパ最後の宗教戦争となった30年戦争の終結後、ウェストファリア講和会議が開かれ、歴史的転換点となりました。ウェストファリア体制の下で、主権国家によるヨーロッパ国際秩序が誕生し、国益概念が確立したのです。
●政治のリアルを説いたマキャベリの『君主論』
こうした変化を先導した人物がニッコロ・マキャベリ(1469~1527)です。マキャベリは、イタリアの都市国家フィレンツェ共和国の外交と軍事を担当する高官で、政治思想家でした。当時のイタリアは周辺諸国の侵攻やイタリア諸勢力の抗争によって混乱の極みにありました。マキャベリも祖国の敗戦と消滅の中で捕われ、拷問まで受けました。そんな過酷な経験が「リアリズムの原型」といわれる『君主論』(1513年)を生んだといえます。
マキャベリの主張は明確です。「イタリア統一を実現し独立を守るためには、君主たるものは宗教や道徳ではなく、力を信奉すべきだ。力のみが国家存続の唯一の条件である」というものです。
そう説いたマキャベリの思想には、悲観的現実主義が横たわっています。マキャベリはこう言います。
“「邪悪な存在である人間の世界」では、善良であることにこだわるならば、地位や国家を維持することはできない。「必要とあらば、断固として悪の中へも入って行く術を知らねばならぬ」”
それは、国家の利益のためにはキリスト教の正義と倫理の原則など無視してよく、「目的のためには手段を選ぶな」とする思想でした。
ローマ教皇は、この『君主論』を神をも恐れぬ悪魔の教えであると断罪し、禁書としました。しかし、キリスト教世界の権威から独立し、絶対王政国家を確立しようとしていた君主や政治家は「君主論」に現実的な思想的基盤を見いだしました。
●「国家理性」を実現したリシュリュー枢機卿
その後、「マキャベリズム」と呼ばれた「政治術」は、その非道徳性ゆえに批判や誤解もされてきました。しかし、国家の安全と自由を保持する上での政治権力の重要性とその獲得のための現実的・合理的方法を説いた「政治論」は、その後のヨーロッパの現実政治と政治理論の展開に大きな影響を与えました。
こうして、17世紀には、宗教的呪縛から解き放たれた近代国家の政治原理として、「国益」を意味する「国家理性」(フランス語で「レゾンデタraison d'etat」、直訳すれば、国家の理由)と呼ばれる概念が確立されるのです。
国家理性を見事に実践した国家が絶対君主ルイ13世治世のフランスです。当時の首席大臣カーディナル・リシュリュー枢機卿は、国家理性を実践してフランスをヨーロッパの大国に押し上げ、「近代国家制度の父」と呼ばれました。彼は、「国家には国家としての存在理由があるため、人間を救う宗教で国家を救うことはできない」と主張し、国家の政治理念をキリスト教の権威や正義ではなく、国家理性に求めたのです。
後のドイツの歴史学者フリードリヒ・マイネッケ(1862~1954年)は、「国家理性」をこう解釈しています。それは国家行動の基本原則・行動原則であり、「各国家は自己の利益という利己主義によって駆り立てられ、他の一切の動機を容赦なく沈黙させる、という一般的な規則」を意味すると、彼は論じたのです。
●「万人の万人に対する闘争の状態」を主張したホッブズ
こうした思想の流れを受け継いだ一人がイギリスの哲学者トマス・ホッブズです。
ホッブズが著書『リヴァイアサン』(1651年)で表現した「万人の万人に対する闘争の状態」は、絶対王政から市民革命、そして王政復古という混乱の中で人間の本性を見つめたことから生まれたものです。
ホッブズは、彼の生きた時代背景もあって、人間の本性を極めて悲観的に捉えました。つまり、人間は生まれつき自己中心的で、国家のない「自然状態」においては私利私欲に走って互いに相争うことになると考えたのです。
こうした「自然状態」では人間は絶えざる恐怖と暴力による死の危機に脅かされています。自己保存のために暴力を用いることは「自然権」として肯定されます。「自然状態」の中での「生存への欲求」とそのための「暴力の行使」という自然権が存在する以上、「万人...