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「弱肉強食」の国際社会で近代日本はいかに国益に守ったか

国家の利益~国益の理論と歴史(6)近代日本の国益とパワー

小原雅博
東京大学名誉教授
情報・テキスト
岩倉使節団
近代ヨーロッパが国際秩序を模索する中、長い鎖国を解いた日本は国家を意識しないまま、「弱肉強食」の欧米列強と渡り合う世界に飛び込んでいく。国際感覚と国益の概念は、近代日本でどのように築かれたのか。今回は岩倉使節団を迎えたビスマルクの言葉を最初の手がかりに、近代日本の迷走ぶりをたどる。(全16話中第6話)
時間:07:42
収録日:2019/03/28
追加日:2019/07/07
≪全文≫

●「弱肉強食」の国際社会に放り込まれた近代日本


 第6回の講義を始めたいと思います。今回は「近代日本の国益とパワー」について、お話をしていきましょう。

 近代において、日本にも欧米列強の帝国主義の影が忍び寄っていました。

 しかし、江戸時代の長い鎖国の間、ほとんどの日本人は国家を意識していませんでした。支配階級であった武士は、日本という国家への帰属意識より自らの仕える大名への忠誠と大名の治める藩への帰属意識を強く持っていたのです。彼らは儒学や漢学を通じて文化や知識としての中国を認識していましたが、それは政治や経済といった現実の世界で語られる国家として認識したものではなかったのです。したがって、日本という国家への認識も薄いものでした。

 そんな時代に突然現れた黒船が、世界、そしてその中での日本という国家の存在を意識し、そのあるべき姿形を論じ、追い求める時代の扉を開いたのでした。明治は、まさに日本という国家を近代国家としてつくり上げていく時代でした。

 ビスマルクは、明治6(1873)年3月9日、建国直後のドイツの首都ベルリンを訪れた日本の岩倉使節団に対し、こう述べています。

「大国は自分に利益がある場合は国際法に従うが、ひとたび不利とみればたちまち軍事力にものを言わせてくる。」

 そんな弱肉強食の国際政治の中に放り込まれた日本は中国(清)と戦って勝利しましたが、ロシアなどの三国干渉により苦汁を飲みました。当時の外務大臣・陸奥宗光は、名著『蹇蹇録』において、「兵力の後援なき外交はいかなる正理に根拠するも、その終局に至りて失敗をまぬかれざることあり」と書き残しています。


●日露戦争で日本の国益を守り抜いた児玉源太郎と小村寿太郎


 日露戦争が近づく1900年には、日本の軍事費は国家予算の45パーセントを超えました。国民も「臥薪嘗胆」に耐えて、戦争に備えました。

 日露戦争の開戦直前、児玉源太郎参謀長は、元老の伊藤博文に対し、「ロシアを相手に2年以上戦ったら惨敗する」と述べて、アメリカへの仲裁要請に動くよう頼んでいます。そして、小村寿太郎外相は、疲弊しきった軍事力と払底した財政力という現実を直視し、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介でロシアとの講和条約をまとめ上げたのです。

 その内容は、旅順・奉天会戦と日本海海戦で勝利に酔う国民の期待に応えるものではありませんでした。小村は「屈辱外交」の責任者として非難を浴び、日比谷焼き討ち事件など全国的に騒乱が起きました。しかし、日露戦争を長引かせず終結させることは、戦争継続余力を失っていた日本の国力に鑑みれば、日本の国益に適うものでした。

 小村は、「群集心理は時局の難関を解するものではない。我らの技は縁の下の力技に類する。我らはただその義務を果たしたことを以て満足すべきだ」と述べています。児玉や小村は、パワーに見合った国益の追求に徹し、日本の国益を守り抜いたといえるでしょう。


●中江兆民が日清戦争前から憂慮した日本の行方


 戦後70周年談話を発表した安倍総理は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と述べました。しかし、その後の日本の歴史は、彼らの期待を裏切り、最終的に取り返しのつかない戦争の爪痕を残すことになったのです。

 日清戦争の始まる前から日本の行方を憂慮した人物がいました。中江兆民です。彼は、政治小説『三酔人経綸問答』(1887年)において、ヨーロッパ列強を批判する理想主義・民主主義の「洋学紳士」と弱肉強食の世界観を持ち中国進出を主張する軍国主義の「東洋豪傑」、そして道義と現実主義を兼ね備えた「南海先生」の鼎談を展開しました。

 紳士君と豪傑君の論争は、当時の日本が直面した葛藤でした。二人から問われた南海先生は、外交は平和友好に努め、国家の生存に関わらない限り、武力に訴えず、言論や出版を自由にし、教育や経済を発展させることを説いています。南海先生は中江兆民の分身であったのでしょうか。中江自身も西欧文明の進歩性と攻撃性を見抜き、「文明対野蛮」の構図ではなく、普遍的道義に基づく外交と自衛権を説いています。

 しかし、その後の日本は豪傑君の意見が幅を利かしていったのです。

 安倍首相は、談話を続けて、次のように歴史を総括しています。

「当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。そのなかで日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界...
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