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二つの世界大戦が物語る各国のパワーの差と国益の意味

国家の利益~国益の理論と歴史(7)パワーと国益が支配した二つの世界大戦

小原雅博
東京大学名誉教授
情報・テキスト
世界大戦の深刻さは、近代兵器による殺傷力の高さだけでなく、国民経済や一般市民を総動員する総力戦にもよるものだ。ささいな火種が瞬く間に広がり、全ヨーロッパを巻き込んでいくのは、国際間の同盟関係がマイナスに働くためである。二つの世界大戦の経緯と各国のパワーや国益について考えてみたい。(全16話中第7話)
時間:15:16
収録日:2019/03/28
追加日:2019/07/14
カテゴリー:
≪全文≫

●未曾有の殺戮と破壊をもたらした第一次世界大戦


 第7回の講座では「パワーと国益が支配した二つの世界大戦」についてお話をしましょう。

 ヨーロッパ全土に張り巡らされた同盟関係によって、バルカン半島の一都市で放たれた一発の銃弾が瞬く間に燎原の火となってヨーロッパを席巻しました。気が付くと、スイスを除く全てのヨーロッパ諸国が二大陣営に分かれ、かつてない悲惨な大戦に突き進んでいたのです。

 不幸なことに、平和が続いたヨーロッパでの最後の戦争は第一次世界大戦の40年も前の普仏戦争でした。しかも、それは短期間で終結し、パリは無血開城されました。ヨーロッパの政治家や軍の指導者も、また国民も、来たる戦争が1千万人を超える戦死者、無数の負傷者、そしてチフスによる百万もの死亡者など桁違いの被害をもたらすことになるとは想像もしませんでした。科学技術の進歩によって破壊力が格段に増した新兵器と、国民経済や一般市民を総動員する総力戦が、未曾有の殺戮と破壊をもたらしたのでした。

 戦局の転機はアメリカの参戦によって訪れました。大戦が始まった頃、アメリカはすでに世界最大の工業国でした。例えば、国家の力を象徴する鉄の生産は、イギリスとドイツの合計の倍以上に達していました。ドイツの無制限潜水艦攻撃がアメリカの世論を硬化させ、アメリカが参戦すると、戦況は連合軍に有利になっていきました。ドイツでは、工業生産が戦前の半分に落ち、反戦運動が起き、キール軍港の反乱などによって帝政は崩壊してしまいしました。4年以上にわたってヨーロッパを荒廃させた第一次世界大戦はこうして幕を閉じたのです。同時にヨーロッパが世界を支配する時代も終わりを告げました。


●ドイツに過酷な賠償を課した戦後国際秩序の失敗


 戦後、ヴェルサイユで行われた会議は難しいものになりました。特に問題になったのは、ドイツに対する賠償です。結果的に、ドイツに対して極めて報復的で過酷な賠償を課すことになりました。そして、ドイツ人居住地域であったズデーデンなどの割譲を強いるなど、結果は安定した戦後秩序をもたらすものとはなりませんでした。

 この講和会議に参加したドイツ代表団は、「ドイツ国民の支払い能力に関係なく賠償額を決められるはずはない」と抗議しましたが、イギリスのロイド・ジョージ首相などは「ドイツ人のポケットの中まで探すつもりだ」と国民に遊説したことです。結果、これが大きな紛争の火種を残すことになったのです。

 ドイツ、オーストリア・ハンガリー、ロシア、オスマンの各帝国が崩壊し、民族自決の原則の下で、新たに多くの中小国が誕生しました。しかし、この大戦によって生じた国際政治の最大の変化は、何といってもヨーロッパの東に巨大な社会主義国家が誕生し、大西洋の西側には世界の半分以上の工業生産力を持つ経済大国がイギリスに代わって世界の覇権的地位を占めるようになったことです。戦後の世界秩序の構築は事実上アメリカの意思にかかっていました。そして、ウィルソン大統領は、国際連盟を提唱することで、その意思を示しました。

 しかし、戦後のアメリカは孤立主義に回帰し、議会上院の反対によって、自ら立ち上げた史上初の普遍的な国際機関に席を占めることはありませんでした。


●世界恐慌のもとで台頭した共産主義とファシズム


 1929年、世界最大の証券取引所を有し、世界の金融の中心となっていたニューヨーク・ウォール街で株価が大暴落しました。金融危機は瞬く間に世界に広がり、結果的に世界恐慌となって世界中を不況と失業のどん底に引きずり込みました。

 世界は再び暗い不穏な時代に突入しました。この機に乗じて台頭したのが共産主義とファシズムです。ヒトラーやムッソリーニが経済不況、過激なナショナリズム、反共主義を利用して政権を握り、ヴェルサイユ体制の打破を目指して、領土拡張を推し進めました。

 その前触れとなったのが、1935年、ヨーロッパ有数の炭田を有する豊かな工業地帯であるザール地方をドイツに編入したことです。独仏国境地帯に位置するザール地方は、普仏戦争によりドイツ領となり、ドイツ人が住民の90パーセントを占めていましたが、ヴェルサイユ講和会議の結果、国際連盟の管理下に置かれ、フランスがザール炭田の採掘権を握っていたのです。

 ヒトラーは、その帰属を決める住民投票に勝利して、最初の領土拡大に成功します。そして1936年には、再軍備を宣言し、永久非武装を定めたロカルノ条約を破棄し、ラインラントに進駐します。1938年になると、オーストリアを併合した後、チェコスロバキアのズデーデン地方の割譲を要求するなど、力による「大ドイツ」の建設に邁進しました。


●ミュンヘン会談とチェンバレンの「宥和政策」


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