●人類危機の13日間、アメリカが取り得た6つの選択肢
第9回の講義では「キューバ危機と世界益・人類益」についてお話しします。
1962年、ソ連がフロリダの鼻先にあるキューバに核ミサイル基地を建設していることを知ったアメリカは、カリブ海で海上封鎖を実施します。米ソ間の対立・緊張が高まり、世界は核戦争勃発の危機に直面します。
ソ連のフルシチョフ書記長がミサイル撤去を発表するまでの13日間、ジョン・F・ケネディ大統領はこの危機にどう対処するか、14~15人のメンバーからなる国家安全保障会議執行委員会(EXCOMM)を断続的に開催しました。そこで議論を重ねて、6つの選択肢がテーブルに上がります。
1.何もしない
2.ソ連の譲歩を引き出す外交(トルコからのミサイル撤去との取引)
3.カストロに働きかける(キューバ・ソ連関係の見直しを要請する)
4.海上封鎖
5.キューバのミサイル基地への空爆の実施
6.キューバへの軍事侵攻
●ケネディ大統領の選択と外交努力
空爆を主張する声が強まる中で、ケネディ大統領は、熟慮の末、海上封鎖を選びます。それは、「何もしない」(1)と「武力攻撃」(5か6)の中間的措置といえます。アメリカの強い意思を示すには十分でありながら、空爆ほどには拙速でもなく、バランスの取れた選択といえます。
ケネディの決断は、アメリカへの核の脅威を取り除こうとすれば人類の破局に直面するという未曽有の心理的圧力に直面しながら、極めて限られた時間と不十分な情報の中で行われました。にもかかわらず、アメリカの安全という「死活的国益」と人類の生存という「世界益」を守るという外交目標を達成したのです。
ケネディ政権は、国際社会の理解を得るための多国間外交に努めました。国連安保理やNATOの支持を得た他、米州機構(OAS)では海上封鎖(アメリカは「隔離」と呼んだ)の法的正当性を確認することでアメリカの立場を強化したのです。国連安保理で初めて世界に示されたキューバ・ミサイル基地の写真は効果的でした。アメリカは国連の場を通じて、海上封鎖の具体的範囲を示すなど、ソ連との意図せざる衝突を避ける努力もしました。多国間主義は、道義や国際法上の正当性を高め、国際世論を味方につける上で有用だったといえます。
●発揮された米ソ両指導者の理性
キューバ危機の全容が明らかになっている今日、さまざまな議論や批判は可能でしょう。しかし、危機の最中、大統領以下関係メンバーは、核兵器もミサイルと一緒にキューバに持ち込まれていた事実をつかんでいませんでした。現場のソ連指揮官の判断次第では、核ミサイルがアメリカ本土に発射される可能性があったのです。軍が主張した武力行使は極めてリスクの高い選択肢だったといえます。当時の緊迫した状況の中で、目標を見失わず、冷静で合理的な決断を下すことのできた指導者を持てたアメリカと世界は幸運だったといえるでしょう。
また、そこにはカストロの核攻撃進言をはねのけたフルシチョフ書記長の冷静な判断もありました。当時、司法長官としてEXCOMMの重要メンバーとなって兄を支えたロバート・ケネディは、武力攻撃に反対し、海上封鎖を主張して、回顧録(ロバート・ケネディ著『13日間』)で、こう記しています。
「(ケネディ大統領は)、なにが自国の利益で、なにが人類の利益かを、適切に判断したフルシチョフを尊敬した。」
この言葉からもうかがわれるように、ケネディ大統領は、驚くべき柔軟性と共感を持って、自らをフルシチョフの立場に置き、どうすれば彼が面子を保ちながら状況を打開できるかを懸命に考えました。例えば、彼は、戦争の一形態を意味する「海上封鎖(blockade)」ではなく、「隔離(quarantine)」の言葉を使うよう命じ、ソ連の貨物船が近づくと封鎖線を動かして臨検や衝突に至るのを避ける努力をしたのです。
また、ロバート・ケネディとソ連大使のチャネルを通じて、キューバからのミサイル撤去がなされれば、アメリカはトルコからミサイルを撤去する意思があることも密かにフルシチョフに伝えています。
●「屈辱的な敗北か核戦争か」の二者択一をさせない
キューバ危機の中で、ケネディ大統領が吐露した、「ソ連を、1インチでも必要以上に押しまくるつもりはない」という言葉の通り、ケネディはフルシチョフの立場に注意深い配慮を払いました。キューバへの核ミサイル配備がアメリカの死活的国益に関わることをフルシチョフ書記長に理解させる一方で、「核保有国は相手側に屈辱的な敗北か核戦争かのどちらか一方を選ばせるような対決は避けねばならない」との態度も貫いたのです。
こうしたケネディの態度に対し、フルシチョフも、書簡でこう応じています。
「私は貴大統領と貴国国民が...
マクナマラ(大統領の右)、ロバート・ケネディ(写真一番左)