●「隠された価値」を市場経済の中に顕在化させるというアプローチ
吉川 ではもう一度、具体的な例に戻ったほうが良いかもしれません。町に素晴らしい本屋があったが、残念ながら閉店に追い込まれた、という例です。残念だと思う人たちは多かったし、新聞にもずいぶん取り上げられました。「それは残念だったね。あのような町の素晴らしい本屋さんが、もうちょっとサバイブ(長く営業)できたらよかったのにね」、と。
ではそういった本屋をサバイブさせるために何ができたのか。あるいは何ができるのか。それを考えるとき、ある種のクラブで「貨幣」と呼ばれるものを普通のお金とは別につくることが解決策になるのかという点に関しては、先ほどからいっている通り、回答を留保します。
しかし、その町の小さな本屋が持つ潜在的な「hidden value(隠れた価値)」は、必ずしも表に出てきていません。つぶれたときに、多くの人が集まってきて「残念だった」と口にするわけです。小宮山先生が指摘したように、ある種の新しいテクノロジーで貨幣と呼ばれるものを新たにつくり出すということではなく、その草の根に存在しているhidden valueを顕在化することができれば、もしかしたら表のマーケットで町の本屋はサバイブできたかもしれません。私流に翻訳させてもらうと、そのようになるかと思います。
つまり、無理に貨幣というものに結びつけなくも良いのではないかということです。hidden valueの重要性は、よく分かります。つぶれた町の本屋が持っていた、ある種のバリューは、hiddenだったのです。表の世界でプレミアでも取って売っていれば、店はサバイブしたかもしれません。しかし、本屋でプレミアを取るのは難しい。本を普通の値段よりも高い値段で売るわけにもいきません。ですから、そういうこととは異なる形で、hidden valueに対して何かできれば良いのですが。
もう少し話を続けさせてもらうと、最近私が気づいているのは、例えば小さな町の本屋のような場所に、その店主の顔を見に行くことによって発生するコミュニケーションについてです。このコミュニケーションによるユーティリティー(効用)を顕在化したものとして、小宮山先生もご存じだと思いますが、カフェと一体化した本屋という形態があります。
小宮山 TSUTAYAなどもそうですね。
吉川 そうです。そうした形態が出てきているのです。...