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司馬遷が李陵を弁護して受けた宮刑の屈辱

『歴史とは何か』を語る(12)李広と李陵と司馬遷の悲劇

山内昌之
東京大学名誉教授
情報・テキスト
司馬遷
司馬遷が宮刑を受け、男性機能を奪われたのはなぜか、ご存じだろうか。李広と李陵、そして司馬遷の悲劇から、歴史学者・山内昌之氏が歴史的世界を眺める。『歴史とは何か』を語るシリーズ・第12回。
時間:20:48
収録日:2014/12/03
追加日:2015/08/17
タグ:
≪全文≫

●道と善には「弁証法的構造」がある


 皆さん、こんにちは。

 「天道、是か非か」という問題を考えるとき、道はもともと人間がつくったにもかかわらず、宇宙論的な規模で見ると、一般の人間の善悪、すなわち、常識的な価値観を超え、人間の運命を押し流していく滔々たる歴史の流れになります。そこには、時間の流れという、人間の意志ではいかんともしがたいものがあると、先週お話ししました。

 しかし、そうすると今度は、人間は滔々たる歴史の流れに身を任せるだけの弱い子羊にすぎないのかという疑問が湧いてきます。この点は、私が多くを勉強した京都大学の川勝義雄教授(故人)が注目していました。川勝教授は、易の中の「一陰一陽之謂道」という表現に大きなヒントを求めています。『易経』には、「一陰一陽これを道と謂う。これを継ぐものは善なり、これを成すものは性なり」とあります。この部分は岩波文庫に入っていますので、簡単に参照できます。

 すなわち、道とは、時には陰(マイナス)となり、時には陽(プラス)となって、無窮に尽きることのない変化を繰り返す働きだと『易経』は言っているのです。その尽きることのない動きを繰り返す道の働きを受け継ぐ人間の努力が善であり、善が人間において完成され成就されるものが性なのです。

 つまり、道とは陽と陰が交代しながら混ざり合うもので、プラスの要因が作用しているとき、実はその極限にはすでにマイナスの要因が萌芽として孕(はら)まれています。すなわち、道とは、動の中に静を、静の中に動を含む矛盾を抱えたまとまりだと解釈できます。川勝教授はこれを「弁証法的構造」という言葉で説明していますが、大変上手な言い方で、私たちにも分かりやすい説明だと思います。つまり、世界の究極のあり方を矛盾を抱えた一つのまとまりによって捉えることは、世界を弁証法的構造によって捉えることを意味します。弁証法的構造とは、取りも直さず世界の本質が歴史的であることに他ならず、説得力があります。

 川勝教授は、一見形而上学、すなわち、抽象的な議論をしているように思えますが、弁証法的構造を基礎とした考え方、あるいは、その精神は、本質的に歴史的精神であると言っています。つまり、物事がプラスからマイナスに変化し、陽の中に陰の要因が、陰の要因の中に陽が入っていて、交代しながら混じり合いを繰り返すのが道であり、その中で人間が努力することが善であるという見方は、歴史的精神にも通じるということなのです。


●司馬遷は「礼」を重視して歴史を考えた


 しかし、道は人間がなかなか把握できない面もあります。ともすれば、虚無につながりかねませんし、無性格、あるいは、無秩序の混乱した状態に流れる可能性もあります。そこで人間世界の場合は、秩序が必要になるのです。この秩序が、中国史、あるいは、儒学でいう「礼」に当たります。

 司馬遷が歴史的世界を支える準拠として重視したのが礼です。もともと礼を重視したのは、『春秋』でした。したがって、司馬遷が『春秋』の批判的精神を受け継いだ意味は、彼が礼を重視した『春秋』を、歴史を考える手掛かりとしたことに他なりません。

 『史記』の伯夷・叔斉の列伝には、人間の世界を何とかして正しく維持しようとする個人の正義が書かれています。これは、道が具体的に現れた歴史のプロセスにおいて、ともすれば正当な扱いを受けず歴史の暗がりの中に埋没していくことにもつながります。つまり、人間的な正義の試みは、実現されなかったり、未完成に終わったり、不当に消されたりすると、永久に消え去ってしまうことになります。

 しかし人間は、必ず誰かが見ている、誰かが分かってくれると信じて生きるものです。古代や中世の人たちは、天が必ず見ている、天はいつかしかるべき反応を示すと考えていました。人間はいずれ死んでいくわけだけれど、天が見ているという信念を持つのもまた人間なのです。


●司馬遷は李陵を弁護し、宮刑の屈辱を受けた


 日本が生んだ作家の一人に、中島敦がいます。彼は、その代表作『李陵』で、蘇武という人物を紹介しています。蘇武は、北方の遊牧民族である匈奴(きょうど)の元に漢の使者として送られ、虜になってしまいます。しかし、彼はそこで使者としての使命のみならず、漢に対する忠義、節を貫き、匈奴に屈せずに、雁の足に手紙を結び付けて託すのです。それが前漢の都に届き、蘇武が忠節を全うして北辺の地で生きていることを知って、漢は彼を国に呼び戻す努力をします。

 これは幸運です。中島敦はその作品の中で、「天はやはり見ていたのだ」「見ていないようでいてやっぱり天は見ている」と主人公・李陵に託して語らせています。それは、李陵自身にまつわる悲劇に照らし合わせた言葉です。

 李陵にまつわる悲劇とは何か。司馬遷...
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