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司馬遷「史記」は孔子「春秋」の精神を継いだ書

『歴史とは何か』を語る(9)『春秋』と『史記』の応報

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
『史記』の一頁目
「単純な善悪によって人々が成功するかどうか決まらない」ことを、世界で初めて教えてくれたのは司馬遷だという。それはなぜか。歴史学者・山内昌之氏が想いを込めて語る『歴史とは何か』を語るシリーズ・第9回。
時間:19:21
収録日:2014/11/26
追加日:2015/08/06
タグ:
≪全文≫

●『史記』は親子2代にわたって作られた歴史書


 皆さん、こんにちは。

 今日は、司馬遷とその代表作である『史記』について語ってみたいと思います。大変重要なテーマですので、1回では済まないかもしれません。

 最近、私の元同僚で東京大学の平勢隆郎教授などによって、実は司馬遷の史記の編年(クロノロジー、年代の付け方)には少し誤りがあったのではないかという中国古代史の常識を覆す指摘がされています。また、このことをめぐって論争が活発に行われています。その内容はすこぶる専門的ですから割愛することにしまして、ここで私が触れたいのは、司馬遷の『史記』がどのように受け入れられてきたかということです。

 『史記』は、司馬遷一人の仕事ではなく、実は父親の司馬談と司馬遷の親子2代にわたって作られた歴史書であることが確実になってきました。京都大学で史学史を専門にされた稲葉一郎教授は、司馬遷が、本紀、世家、列伝という著述構成スタイルだけでなく、叙述形式についても記事と評論を区別する原則を立てたことを明らかにしました。

 父親の司馬談は、軼事(いつじ、アネクドート、エピソード)という歴史の事実として大変興味深い事柄を収集し、個性的で特異な出来事、記憶として後世に伝える価値のある事柄を記録していたと考えられています。一方、息子の司馬遷は、口碑、つまり、口頭で伝わってきた民間伝承や、さまざまな例え話の類、あるいは、歌謡などを紹介しながら、優れた文章や文学作品を載せて、人物や事象を客観的かつ具体的に後世に伝えようとしたのです。こうしたことが『史記』の内容やスタイルに関わっています。


●歴史は、超越的な存在の意志が発露したもの


 私が今、「歴史とは何か」を考えるときに、なぜ司馬遷をとり上げるかと言うと、それは司馬遷が世界史上最も傑出した特異な人物であるからです。そう考えたのはもちろん私が最初ではなく、中国史の専門家たちも昔から司馬遷を考えてきました。その1人で、亡くなられた京都大学の川勝義雄教授は、『中国人の歴史意識』という優れた本の中で、古代中国の人々は、歴史を神の意志、超越的な存在の意志が発露したものと考えていたと指摘しています。

 これは、「歴史家がなぜ歴史を書くのか」につながる問題です。つまり、歴史とは、人智ではいかんともしがたい天、あるいは、天道が指し示したものである。いわば、歴史上の事実や事柄は人間の意思ではいかんともしがたい超越的な原理によって起きている。司馬遷はそのように考えていたと、川勝教授は語りたかったのだと思います。このことはまた後で触れることにします。

 司馬遷は、儒学の創始者である孔子を大変尊敬し、常に孔子が指し示したさまざまな理想や現実感覚にのっとって、物事を考えようとしました。孔子は、『春秋』という書物を著し、編修し、後世に残した人です。『春秋』が、孔子の生まれた魯の国の歴史であることは、以前にも申し上げたかもしれません。司馬遷は、『春秋』の精神に基づき、その意志を継承しようとした形跡があります。『史記』は、勧善懲悪的な意味での倫理的な批判を拒否してはいませんが、それにとどまりませんでした。むしろそれ以上の要素があり、『春秋』も同様だったことが重要な点です。

 司馬遷は、「春秋は礼の義の大宗なり」と語っています。これは、人間世界を成立させている基本的な秩序原理、人間世界の秩序を成立せしめる根本的な原理から世の中を見ていく。すなわち、歴史的に考えて、世の中のあり方について批判的に解明していくという意味なのです。

 私たちに縁のある吉田松陰は、歴史を好んで考えた人物で、ある意味では、孔子から司馬遷に受け継がれている歴史の捉え方を正統的に継承しています。彼はこのように言っています。「孔子の春秋、天下の邪正を定め百王の大法たることは、論を待たざることなり」、すなわち、「孔子の『春秋』は、世の中の正義と不正義が何かを定めており、どの支配者や統治機構にも当てはまる、皆が従わなければならない法であり、このことはもはや議論を尽くすまでもない」と語っているのです。


●『史記』は、現代の歴史学の著述に近い


 『史記』が『春秋』の精神を継ごうとして、倫理的な批判の書という性格を帯びていたことは事実です。『春秋』は五経の一つで、春秋時代の魯の年代記です。孔子の著作は、より正確には、孔子がさまざまな記録を整理、編修したものと言った方が正しいかもしれません。しかし、なかなか解釈が難しいので、コメンタリーとして『春秋左氏伝』が作られたのはすでにご紹介した通りです。

 『春秋』は、人間世界をつくっている秩序の基本原理にこだわった書物です。孔子の生きていた時代だけでなく、当然、現在の私たちの世界にも、世界を成り立たせしめる秩序が...
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