●歴史の本質は、時間にある
しかし、人は誰もが正確に過去の事実を知りたい、多少でも将来を予測したい、現在知られている事実を後世の人に伝えたいという気持ちを持つものだと思います。ですから、ある日本人の歴史家の「歴史とは人間の本能に根差した学問である」という発言には、もっともな点があります。
こうした観点から、最近私は1冊の本を書きました。ここに掲げている『歴史とは何か』というタイトルの本です。PHP研究所という出版社から出しましたが、この本を書いた目的は三つあります。
第一の目的は、歴史を決定する時間の流れと人間の営みの関係を考えたいということです。歴史の本質は、時間にあります。歴史は、一にも二にも時間が大きな要素を持つ学問です。同時に、その時間の流れの中で、人間がどのような行動をしたか、どのような考え方をしたかを考えることも大事であります。
つくづく思うのですが、どの世界のどの地域、日本でも中国でも、ヨーロッパ、イスラム世界でも、歴史の中では、人間世界の運命は単純には流れません。私たちは、人間の社会に、どうしても正義や公正、平等などの価値観を求めがちです。しかし、実際の歴史で起きている事件は、公正や正義とは関係ありません。むしろその逆方向に歴史が動くことが多いという事実があります。この点を私は考えてみました。
●天が指し示す道は、果たして正義か不正義か
皆さんもご存知の司馬遷という人がいます。中国の前漢の時代、紀元前2世紀頃に生まれ育った人で、『史記』という本を書きました。私たち歴史を学ぶ者にとってはほとんどバイブルに近い書物の一つですが、その中で、司馬遷は「天道、是か非か」という有名な言葉を書いています。天が指し示す道は果たして正義か、あるいは不正義かという問いかけであります。歴史において、しばしば不合理な結果、不条理な結末が導かれるのは皆さんもご承知の通りです。
もともと中国の道とは人間がつくるものとみなされているようですが、天が指し示す道である天道は少々違います。宇宙論的・コスモス的な規模の大きな流れの筋のことであります。天道は、しばしば人間個人が考える善と悪、正義と不正義といった価値観とは関わりのないものになることがありました。そこに表れるのは、人間の一般的な倫理の基準では推し量ることのできない世界の現実なのです。
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