●全てを知り尽くすことはできないとしても
皆さん、こんにちは。
しばらくご無沙汰していましたが、また『歴史とは何か』について考える連載のシリーズに戻りたいと思います。ここでは“連載”とは申さず、おそらく、連続講演、あるいは、連続したお話ということになるのでしょう。ご理解ください。
この間も私は、中東4か国に出掛けてまいりました。(2014年)11月初旬の7日から17日まで10日間です。訪問先は、ドバイ、オマーン、ヨルダン、エジプトでしたが、私はいずれの地の講演においても、チュニジアの生んだアラブの歴史家イブン・ハルドゥーンのことを、最初の所説として、あるいは、私の結論の一部として、しばしば引き合いに出しました。
イブン・ハルドゥーンの歴史に関する指摘、ひいては、歴史家に関する指摘は、大変多くのエジプト人やオマーン人、他のアラブの人たちにとっても、関心のあるものでした。それは、「イブン・ハルドゥーンの指摘は、ややバランスを失するほど歴史家に厳しいのではないか」という感想です。
そもそも、あらゆる事件、あらゆる出来事の原因について知り尽くすことは、いかなる人々、すなわち、どのような優れた歴史家をもってしても不可能です。さらに、どんなに優れた歴史家たちの共同作業、営みをもってしても不可能であることは間違いありません。ですから、イブン・ハルドゥーンの歴史家に対する批判や資格の厳しい追及は、本来なかなか難しい注文をつけている面があります。
そもそも歴史家とは、自分なりに理解する歴史の基本的な原則や拠り所、あるいは、事実そのものと情報を対比させて、事実であるかどうかを検証し、そして、さらにその中の研ぎ澄まされた真実とは何かについて確定する努力を払ってきたものです。
●ムハンマドの伝承をつぶさに収集したブハーリーの労作
9世紀に活躍したブハーリーという人物がいます。
ブハーリーは、自分の生涯を尽くす仕事として歴史を選びました。その仕事において、当時の人々はもとより、後世の人々にも、高く評価されました。なぜならば、ブハーリーは、ムハンマドが何を語り、どのように行動したかという伝承を、あらゆるところから、飽きることなく、丹念に収集した人物であるからです。
その労作は『サヒーフ』と言います。サヒーフとは、“紛うかたなく正しいこと”という意味です。日本語では、しばしば『真正集』と訳され、ムハンマドの言ったことで、何がサヒーフか、つまり、何が紛うかたなく正しいのか、厳密に求めた書物です。これが、いわゆる「ハディース」の中でも、一番信頼されるものだと呼ばれるゆえんです。
ハディースとは、ムハンマドの言行録、すなわち、何を語り、何を行ったかについて集めたもので、6種類あると言われています。その中でも、特にブハーリーのサヒーフは信頼されているものです。ブハーリーのサヒーフは、東京外国語大学の教授であった牧野信也先生によって、日本語にも訳されており、手近なところでは、中公文庫で読むことができます(『ハディース イスラーム伝承集成』全6巻・中央公論社)。
●宰相イブン・ハルドゥーンの歴史意識と経世済民
いずれにせよ、こうした点などを念頭に置きながら、私たちは、イブン・ハルドゥーンが何を言ったのかについて、もう一度考えてみる必要があります。
イブン・ハルドゥーンは、歴史学が誰にでもできそうな平凡な学問に成り下がったと揶揄しているのです。これは、私たち現代の職業的な歴史家、歴史学者にとって、やや腹立たしい面もありますが、全く嘘というわけではありません。ここが私たちにとってつらいところです。
イブン・ハルドゥーンは、こう述べています。
「多くの学者たちは、この歴史学の真髄を忘れ、その結果、歴史学に携わることはばかげた仕事になってしまった。そして、凡人やしっかりした知識を持たない人々は、歴史を研究し、知り、探究することを、簡単なことと考えたのである。迷える羊は家畜の群に入り、貝殻は堅果と混ざり、真理は嘘と交わる」
有名な一節です。最後は、「物語は全て巡り巡って神の元に戻っていく」というコーランにある言葉をもって終わります(コーラン31の22)。
しかし、現代の私たちからするならば、こうしたイブン・ハルドゥーンの指摘には、やや不満を抱くわけです。それは、古代ギリシャのヘロドトスの言説にも似たところがありますが、ヘロドトスやイブン・ハルドゥーンのような優れた歴史家たちをもってしても、人々は、ひいて言うと、私たちは、なぜ歴史を書かなければならないのか、人はいかにして歴史家たりうるのか、という歴史家の内面にある深刻な葛藤や苦しみが、あまり感じられないからです。
理由はおそらく、イブン・ハルドゥーン...