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重光葵がいなければ、英語が公用語になっていたかも!?

第七章 歴史を愛する日本人の崇高な使命(12)国連で喝采されたA級戦犯

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
重光葵
近代日本人の肖像
東京裁判でA級戦犯として起訴され、禁錮七年の有罪判決を受けた重光葵は復帰後、第一次鳩山内閣の外務大臣兼副総理を務めている。重光は、昭和31年の国連総会で、日本が国際連合への加盟を全会一致で認められた際、演説を行なっているが、その演説を聴いた出席者たちは、万雷の拍手を惜しまなかった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第七章・第12回。
時間:04:20
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/24
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≪全文≫
 話が前後するが、そのマッカーサー証言から半年も経たないうちにサンフランシスコ平和条約が調印され、日本は主権を回復し国際社会に復帰した。

 当初、アメリカ軍は日本を数十年は占領するだろうといわれていたから、対日講和条約がいつ結ばれるのかについては皆目見当がつかなかった。ところが、朝鮮戦争が引き金になって、連合国と日本は講和に向けて大きく動き出したのである。

 よくいわれるように、サンフランシスコ平和条約に日本を非難する言葉は入ってない。シナや朝鮮などにおける権益を放棄するという条項はあるが、日本を責めてはいない。

 しかも前文に、日本と連合国との関係を、「公共の福祉を増進し、世界の平和と安全を維持するために対等な主権を有し、友好的な連携のもとに協力する」ものとすると記されているように、サンフランシスコ平和条約は本当の意味での講和条約なのである。

 同条約の第一条で「日本と各連合国との間の戦争状態は(中略)この条約が日本と当該連合国との間で効力を生じる日に終了する」と定められている。その意義深いサンフランシスコ平和条約を無視し、日本人がいまだに東京裁判にとらわれていることに、私は大きな疑問を禁じえないのである。

 日本がいまだに「A級戦犯」を忌避し、海外から糾弾されてたじろぐのは、単に無知だからだとしか思えない。

 たとえば、A級戦犯・重光葵(前章で見た大東亜会議を推進した外相)をどう考えるか。

 彼は東京裁判でA級戦犯として起訴され、禁錮七年の有罪判決を受けたが復帰し、第一次鳩山内閣(昭和29年〈1954〉12月10日~30年〈1955〉3月19日)の外務大臣兼副総理を務めている。昭和31年(1956)12月18日の国連総会で、日本が国際連合への加盟を全会一致で認められた際、重光葵外相は加盟受諾演説を行ない、こう述べている。

 「わが国の今日の政治、経済、文化の実質は、過去一世紀にわたる欧米及びアジア両文明の融合の産物であつて、日本はある意味において東西のかけ橋となり得るのであります。このような地位にある日本は、その大きな責任を充分自覚しておるのであります」

 重光外相の演説を聴いた国連総会の出席者たちは、万雷の拍手を惜しまなかった。

 そして彼は「これで私は日本国に尽くせるだけのことをした」と言い残し、その翌月の1月26日にこの世を去った。その死を悼み、国連総会では追悼の黙禱が行なわれたという。

 これだけを見ても、日本にはすでにA級戦犯はいなくなっていたことは明らかだ。

 A級戦犯で、しかも有罪だった人がなぜ日本の外務大臣として国連で大演説を行なうことができたのか。それは、サンフランシスコ平和条約の規定に基づき、国際的にも戦犯がなくなったからである。こんなにわかりやすい例はほかにない。

 重光葵は実に立派な人物であった。敗戦を迎え、軍部の大臣たちがアメリカ海軍の戦艦ミズーリ号での降伏文書調印に二の足を踏むなか、政府を代表して重光外相が降伏文書調印式に臨んだが、そのとき、こんな歌を詠んでいる。

 願わくは御国の末の栄え行き 我が名さげすむ人の多きを
 (将来、日本が栄え、降伏文書に署名した私の名を蔑む人が増えることを願う)

 降伏文書の調印式のあと、GHQは日本政府から司法権と通貨発行権を剥奪し、公用語を英語にするという布告を突きつけた。そこでマッカーサー司令部を説得し、一晩のうちに間接統治に切り替えさせたの...
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