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『創作者の体感世界』で捉え直す障害の意味と16人の天才
発達障害という言葉は誰しもが聞いたことがあるはずでしょう。発達障害とは、脳の機能に関わる障害であり、社会生活やコミュニケーションに困難を伴うことが多いものです。その下位カテゴリーには自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠陥多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)、発達性協調運動症(DCD)、チック症候群、児童期発症流暢症(吃音)などが含まれます。
日本における発達障害者の数は年々増加しており、文部科学省の調査によれば、小中学生の8.8%に発達障害の可能性があります。成人の発達障害者も含めると、その数はさらに増えます。こうした背景から、発達障害に対する理解と支援の必要性はますます高まっているのです。
ところで、発達障害の特性が強い人たちの中には、特定の分野で高い能力を示す人が少なくありません。独特の視点や思考パターンが創造的な活動につながることがあるのです。今回ご紹介する『創作者の体感世界 南方熊楠から米津玄師まで』(横道誠著、光文社新書)は、自身も発達障害と診断された著者が、天才と呼ばれたさまざまな創作者たちの批評を通じて、いかに文学や芸術を体感してきたかを明かした一冊です。
本書では、16人の天才たちについて、作品論・作者論が展開されています。取り上げられている人々を見て見ましょう。南方熊楠、与謝野晶子、宮沢賢治、小津安二郎、岡本太郎、石牟礼道子、オノ・ヨーコ、大江健三郎、萩尾望都、高橋留美子、庵野秀明、蜷川実花、新海誠、村田沙耶香、最果タヒ、米津玄師。気になる人はいたでしょうか。
これら16人の作品や生育歴をもとに、その創造性を発達障害の特性と関連させて批評が行われていきます。といっても、これはいわゆる「病跡学」とは全く異なるものです。病跡学とは、創作者の創造性の源泉を精神疾患に見いだしていく学問分野ですが、横道氏によれば、「独断的な『診断』を一方的にくだしていく醜悪で権威主義的な学問に変貌している側面もある」といいます。
これに対して、横道氏が本書で実践する「当事者批評」は、患者の側から作品論・作者論を展開し、自己の体感世界を表明するため、むしろ「逆病跡学」とでも位置づけられるものなのです。本書はそうした新たな批評の実践記録としても読むことができます。
この考え方では、発達障害の特性自体はあくまでもニュートラルなものとなります。そして、「脳の多様性を生かすための最大の鍵は環境調整にある」のですが、社会的な場所や制度の多くが発達障害者(脳の少数派)に合わせて調整されていないため、それが障害になり、「発達障害の特性を持つ健常者」が「発達障害者」になってしまうと考えられるのです。
よって、「本書で扱うことになる創作者たちのほとんどは、発達障害と診断されなかったと推測される」と横道氏はいいます。なぜなら、「創造活動を中心としたさまざまなコーピング(対処法)によって健康を維持し、才能を発揮できる環境に恵まれることで、発達障害と診断される状況に陥らないと考えられるから」です。
発達障害の特性の中でも、本書が特に注目するのは自閉スペクトラム症とADHDに関わる特性です。
自閉スペクトラム症の特性は簡単にいうと、言動が自己完結的で、「こだわり」が非常に強いことです。「『その場の空気』を読むことが不得意」だったり、「他者に容易に同調せず、自由奔放にみられる」こともあり、「歯に衣着せぬ発言によって、周りから煙たがられたり、意思の不疎通から他者と口ゲンカになりやすかったり」するということです。
従来は「コミュニケーションの障害」、「想像力の障害」とみなされてきたこの特性も、ニューロダイバーシティの観点からは異なる見方が浮かび上がります。自閉スペクトラム症者が定型発達者の心を理解できないのと同様に、定型発達者も自閉スペクトラム症者の心を理解できません。このように、異質な人間同士が交流することで両方に支障が生じる「二重共感問題」としてこの状況を理解するのが妥当だという考え方が支持を広げています。
また、「こだわり」が強い人は世の中に多く存在します。それは、自閉スペクトラム症の特性が強いということでもあります。自閉スペクトラム症者は「こだわり」の対象が異常に見えるだけで、それを健常者/障害者と考えるのではなく、あくまで多数派/少数派とみなすべきなのです。
ADHDについても同様です。たとえば「不注意」という特性も、見方を変えれば「多注意」と考えることができます。意識が多方向に向かうため、多くの人が思いつかないアイデアを生み出すことができるのです。このように、「コミュニケーションの障害」や「対人関係の異常」と考えられてきたものも、ニューロダイバーシティという発想によって視点を相対化することができるのです。
南方熊楠(1867-1941)は博物学、民俗学、生物学と幅広い分野にわたって独創的な研究を行った学者です。「奇人型の天才」と評されることもある熊楠について、その仕事の幅広さと破天荒な逸話を紹介しながら、横道氏はいかにこの偉人に心を慰められてきたかを綴っています。
たとえば、万能型の天才と思われがちな熊楠は、実は中学校の卒業試験で幾何や経済が最下位、和漢文は下から2番目、英語は下から3番目でした。熊楠の知性は、多くの発達障害者と同じ「凸凹した知性」だったのです。
また、横道氏が特に感銘を受けたのは、熊楠の人生における研究活動の位置づけです。熊楠は自分に精神疾患の特性があることを自覚していました。著名な民俗学者である柳田國男に宛てた書簡で、自分は「狂人」にならないようにするための対処法として研究者への道を選んだと語っています。横道氏にとっての研究活動もまた同じような意味を持つものだといいます。自身と同じ特性を持ち、偉人としての評価をすでに確立している熊楠に、横道氏は「ニューロダイバーシティの可能性の極限」を見ているのです。
本書は発達障害について新たな理解を提供してくれます。また、16人の創作者のさまざまなエピソードが明晰な文体によって語られているので、そのなかに関心のある人物がいるという方は、その章から読み進めることで障害の意味を捉え直すことができるのではないでしょうか。この貴重な一冊を、ぜひ書店で一度手にとってみてください。
日本における発達障害者の数は年々増加しており、文部科学省の調査によれば、小中学生の8.8%に発達障害の可能性があります。成人の発達障害者も含めると、その数はさらに増えます。こうした背景から、発達障害に対する理解と支援の必要性はますます高まっているのです。
ところで、発達障害の特性が強い人たちの中には、特定の分野で高い能力を示す人が少なくありません。独特の視点や思考パターンが創造的な活動につながることがあるのです。今回ご紹介する『創作者の体感世界 南方熊楠から米津玄師まで』(横道誠著、光文社新書)は、自身も発達障害と診断された著者が、天才と呼ばれたさまざまな創作者たちの批評を通じて、いかに文学や芸術を体感してきたかを明かした一冊です。
発達障害の大学教員による「当事者批評」の実践
著者である横道誠氏は現在、京都府立大学文学部の准教授です。横道氏はもともとヨーロッパ文学や比較文化を専門としていましたが、40歳のときに発達障害の診断を受けたことを契機に、当事者研究も行うようになりました。現在は発達障害を抱えて生きる人々との交流や自助グループの運営にも積極的に取り組んでいます。『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周遊記』(文藝春秋)、『ある大学教員の日常と非日常 障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)他、多数の著書があります。本書では、16人の天才たちについて、作品論・作者論が展開されています。取り上げられている人々を見て見ましょう。南方熊楠、与謝野晶子、宮沢賢治、小津安二郎、岡本太郎、石牟礼道子、オノ・ヨーコ、大江健三郎、萩尾望都、高橋留美子、庵野秀明、蜷川実花、新海誠、村田沙耶香、最果タヒ、米津玄師。気になる人はいたでしょうか。
これら16人の作品や生育歴をもとに、その創造性を発達障害の特性と関連させて批評が行われていきます。といっても、これはいわゆる「病跡学」とは全く異なるものです。病跡学とは、創作者の創造性の源泉を精神疾患に見いだしていく学問分野ですが、横道氏によれば、「独断的な『診断』を一方的にくだしていく醜悪で権威主義的な学問に変貌している側面もある」といいます。
これに対して、横道氏が本書で実践する「当事者批評」は、患者の側から作品論・作者論を展開し、自己の体感世界を表明するため、むしろ「逆病跡学」とでも位置づけられるものなのです。本書はそうした新たな批評の実践記録としても読むことができます。
「ニューロダイバーシティ」という新たな理解
本書の序章では、そもそも発達障害とは何かについて解説されています。その中で特に強調されているのが、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)という考え方です。これは、発達障害のない定型発達者を「脳の多数派」、発達障害者を「脳の少数派」として両者のあいだに優劣の差異を読みこむことに異議を唱えるものです。この考え方では、発達障害の特性自体はあくまでもニュートラルなものとなります。そして、「脳の多様性を生かすための最大の鍵は環境調整にある」のですが、社会的な場所や制度の多くが発達障害者(脳の少数派)に合わせて調整されていないため、それが障害になり、「発達障害の特性を持つ健常者」が「発達障害者」になってしまうと考えられるのです。
よって、「本書で扱うことになる創作者たちのほとんどは、発達障害と診断されなかったと推測される」と横道氏はいいます。なぜなら、「創造活動を中心としたさまざまなコーピング(対処法)によって健康を維持し、才能を発揮できる環境に恵まれることで、発達障害と診断される状況に陥らないと考えられるから」です。
発達障害の特性の中でも、本書が特に注目するのは自閉スペクトラム症とADHDに関わる特性です。
自閉スペクトラム症の特性は簡単にいうと、言動が自己完結的で、「こだわり」が非常に強いことです。「『その場の空気』を読むことが不得意」だったり、「他者に容易に同調せず、自由奔放にみられる」こともあり、「歯に衣着せぬ発言によって、周りから煙たがられたり、意思の不疎通から他者と口ゲンカになりやすかったり」するということです。
従来は「コミュニケーションの障害」、「想像力の障害」とみなされてきたこの特性も、ニューロダイバーシティの観点からは異なる見方が浮かび上がります。自閉スペクトラム症者が定型発達者の心を理解できないのと同様に、定型発達者も自閉スペクトラム症者の心を理解できません。このように、異質な人間同士が交流することで両方に支障が生じる「二重共感問題」としてこの状況を理解するのが妥当だという考え方が支持を広げています。
また、「こだわり」が強い人は世の中に多く存在します。それは、自閉スペクトラム症の特性が強いということでもあります。自閉スペクトラム症者は「こだわり」の対象が異常に見えるだけで、それを健常者/障害者と考えるのではなく、あくまで多数派/少数派とみなすべきなのです。
ADHDについても同様です。たとえば「不注意」という特性も、見方を変えれば「多注意」と考えることができます。意識が多方向に向かうため、多くの人が思いつかないアイデアを生み出すことができるのです。このように、「コミュニケーションの障害」や「対人関係の異常」と考えられてきたものも、ニューロダイバーシティという発想によって視点を相対化することができるのです。
当事者批評の実例:南方熊楠
本書で行われている当事者批評の実例から、1人を取り上げてご紹介しましょう。南方熊楠(1867-1941)は博物学、民俗学、生物学と幅広い分野にわたって独創的な研究を行った学者です。「奇人型の天才」と評されることもある熊楠について、その仕事の幅広さと破天荒な逸話を紹介しながら、横道氏はいかにこの偉人に心を慰められてきたかを綴っています。
たとえば、万能型の天才と思われがちな熊楠は、実は中学校の卒業試験で幾何や経済が最下位、和漢文は下から2番目、英語は下から3番目でした。熊楠の知性は、多くの発達障害者と同じ「凸凹した知性」だったのです。
また、横道氏が特に感銘を受けたのは、熊楠の人生における研究活動の位置づけです。熊楠は自分に精神疾患の特性があることを自覚していました。著名な民俗学者である柳田國男に宛てた書簡で、自分は「狂人」にならないようにするための対処法として研究者への道を選んだと語っています。横道氏にとっての研究活動もまた同じような意味を持つものだといいます。自身と同じ特性を持ち、偉人としての評価をすでに確立している熊楠に、横道氏は「ニューロダイバーシティの可能性の極限」を見ているのです。
本書は発達障害について新たな理解を提供してくれます。また、16人の創作者のさまざまなエピソードが明晰な文体によって語られているので、そのなかに関心のある人物がいるという方は、その章から読み進めることで障害の意味を捉え直すことができるのではないでしょうか。この貴重な一冊を、ぜひ書店で一度手にとってみてください。
<参考文献>
『創作者の体感世界 南方熊楠から米津玄師まで』(横道誠著、光文社新書)
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334102227
<参考サイト>
横道誠氏の研究室
https://sites.google.com/site/mktyokomichi/home
横道誠氏のX(旧Twitter)
https://x.com/macoto_y
『創作者の体感世界 南方熊楠から米津玄師まで』(横道誠著、光文社新書)
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334102227
<参考サイト>
横道誠氏の研究室
https://sites.google.com/site/mktyokomichi/home
横道誠氏のX(旧Twitter)
https://x.com/macoto_y
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