テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

ドイツはホロコーストをナチスの罪として裁くことができた

なぜ「ドイツの謝罪」のようにいかなかったのか(2)日本とドイツの状況の根本的な相違

若宮啓文
元朝日新聞主筆
情報・テキスト
ニュルンベルク裁判
日本はなぜドイツのように戦争責任を明確にできなかったのか。なぜ過去にけじめを付けにくかったのか。当時の日本とドイツの根本的な状況の相違を指摘しつつ、その要因について解説する。(後編)
時間:06:59
収録日:2013/10/31
追加日:2014/04/24
カテゴリー:
≪全文≫

●「ドイツの謝罪」の対象はホロコースト


日本は、「ドイツの謝罪」のようにはいかず、なぜ過去にけじめが付けにくかったのか、という話ですけれども、日本の場合とドイツの場合とでは、いくつかの違う要素があります。
一つは、ドイツが裁かれたのは、大きく分けると二つの理由があるのです。それは、一つは侵略戦争をしたということですが、もう一つ、より大きな問題は、ユダヤ人に対する大量虐殺、ホロコーストです。
例えば、ヴィリー・ブラントがドイツの謝罪をしたというのは、ユダヤ人のホロコーストに対する謝罪です。それから、ヴァイツゼッカーの演説もよく読んでみると、明確にその謝罪の対象としているのは、やはりホロコーストの部分だと思います。
日本の場合には、規模はどのぐらいだったかは別として、南京での大虐殺と言われることであるとか、非人道的な戦争犯罪のようなことは部分的にはもちろんありますけれども、総じて「600万人のユダヤ人を虐殺した」というようなことではなかったわけです。そこに違いがあるということです。

●ほぼ全てをナチスの罪として戦争責任を明確にできたドイツ


それから、ドイツの場合には、戦争も含めてホロコースト、侵略の責任を、ほぼ全てナチスドイツ、ヒットラーを頂点とするナチスの罪であるとして裁くことができたわけです。
ですから、一般のドイツ国民は、もちろんそれを見て見ぬふりをしたとか、そうした間接的な責任の問題はあるとしても、直接の戦争責任者として裁かれることはほとんどなかった。そのように、戦争犯罪と大虐殺の責任者を明確に処罰できたわけです。

●当時の体制「国体」の全てを裁かなかったアメリカの占領政策


しかし、日本の場合には、体制が違ったわけです。当時は、そうでない時期ももちろんありましたが、軍人政権と言ってよかったと思います。太平洋戦争を始めたときの首相・東條英機さんらA級戦犯と呼ばれる戦争責任者を、東京裁判で処罰はしたけれども、天皇制、天皇を頂点とする、いわゆる当時「国体」と言われたその体制は全部を裁くことはしなかったわけです。ですから、天皇陛下には実質的な責任がないということで、GHQ自体が最初から裁判の対象にもしませんでしたし、そのまま継続して残っていただいたということがあります。
それだけではなくて、当時のA級戦犯容疑者として捕らえられた、例えば岸信介さんであるとかが釈放される。あるいは、裁判にかけられなかった、多くの公職から追放された人々がいたのですが、こういう人たちもやがて出てくるわけです。そして出てくるだけではなくて、枢要な地位に就く。岸さんの場合には総理大臣になります。あるいは、A級戦犯としての刑で懲役に服した人たちも途中で恩赦によって出てきて、大臣になったり自民党の幹部になったりしています。 
そういう形で、あいまいにされたということが、これは日本が選択したというよりも、当時のGHQ、アメリカと言ってもいいでしょう、アメリカの占領政策がそのようにしてしまったという面があるわけです。

●冷戦によるアメリカの政策変化で戦争責任があいまいになってしまった日本


それはなぜかと言うと、アジアでいわゆる冷戦、ソ連対アメリカという対決の構造が、東京裁判をやっているうちにどんどんクリアになったのです。
ニュールンベルグ裁判は、比較的早く終わりました。しかし、東京裁判は1948年まで続きます。その間に、例えば朝鮮半島は分断されて、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国という国が北半分にできる。あるいは、中国では、中国の共産党の勢力がどんどん拡大して、やがて蒋介石さんの国民党の政府を追い出してしまうわけです。そういう脅威の中で、日本の保守の人たちで有能な比較的罪の軽い人たちを再び日本の政治の中心に復帰させ、それを支援したほうがいいのではないかというようにアメリカの政策が変わったということが、国際環境の大きな要素としてあったのです。つまり、言うなれば、日本の戦前に大きな責任を持った人たちは、戦後の冷戦の状況の中で恩恵を受けたということです。
そして、そういう人たちも加わって、戦後の日本の歩みが始まったというところに、今日につながるあいまいな部分が残ってしまった。それが、ドイツと大きく違った点ではないでしょうか。
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。