●中華民国と中華人民共和国の間で揺れた日中国交問題
日中関係が今日、非常に難しくなっています。中国側には中国側の問題がたくさんあるということも、十分指摘されているのですが、私はここでは主として、中国というものをめぐって、日本国内が特に保守政界の中でずいぶんと争いを繰り返してきた、そういう延長に今日の日中関係もあるという観点からお話しをしたいと思います。
1972年に当時の田中角栄総理大臣が大平正芳外務大臣と一緒に中国・北京に行って結んだのが、「日中共同宣言」なのですが、ここで日中の国交を開こうということになりました。それからもう40年以上がたったわけですが、実はその当時から、この日中の国交を結ぶかどうかというのは日本国内では大問題でした。それまでは、今の台湾に中華民国という国があったわけです。日本や国連も認定して、「中国の代表は台湾である、中華民国である」という時代が実は長かったのです。そして、日本も台湾を相手に国交を持っていたわけです。
これは戦後、いろいろな事情があったのですが、もともとは日中が戦争した、つまり、日本が侵略戦争したときの相手が蒋介石さんを代表とする国民党の政府だったわけです。この蒋介石さんが、その後中国の毛沢東率いる共産党に負けて、台湾に逃げました。追いやられて、そこで作ったのが中華民国ですので、言わば亡命政権だったのです。
大陸の中国本体としては、「台湾も中国の一部である」ということで、台湾としての独自政権を一切認めないという立場をとっていました。そして、実際には中国大陸のほうがはるかに強大で、大きな土地もあり、だんだん力もつけてくるということで、国際状況として、台湾よりもやはり中華人民共和国を中国の代表として認めるべきではないかという機運が次第に高まりました。実は、国連の代表権をめぐって台湾と中国の間で争いがずっとあったのですが、1971年についにひっくり返って、台湾が国連から言わば追放されて、今の中国共産党政権が国連の代表として認められたわけです。安全保障理事会のメンバーにもなりました。
●国交回復の機運の高まりと田中角栄氏の自民党総裁選勝利
そういう流れを受けて、日本でも「もうそろそろ共産党の中国を国交の相手とすべきではないか」という世論が、次第に強まっていました。
それまで自民党の政権は、やはり共産党の中国は自由陣営の...