●田中、竹下派から宏池会へ-日中友好の系譜
前回、日中国交正常化をめぐって、田中角栄総理大臣と、その前に総裁選で敗れた福田赳夫さんを支持するグループとの確執もあって、自民党の中が二分されるような状況になったというお話をしたと思います。
それ以降、田中派の系統というのはその後竹下派に引き継がれ、総理大臣としては竹下登さんをはじめ、橋本龍太郎さんや小渕恵三さんが輩出されました。途中の細川護熙さんというのは自民党を飛び出た人ですけれども、この方ももとをただすと田中派だったのです。
そういう流れがあり、そして、総理大臣ではありませんけれども、例えばこの方はもう現役ではありませんが、野中広務さんであるとか、今でも現役の方としては二階俊博さん、この人は今も日中友好の中心人物の一人ですけれども、こういう方が田中、竹下派の系譜でいるということです。
一方で、田中さんと一緒に当時外務大臣として中国に行った大平正芳さんが後に首相となりますが、この系譜も日中を大事にします。この系譜には総理大臣としては宮澤喜一さんがおられましたし、その後、自民党総裁、衆議院議長にもなった河野洋平さん、あるいは日中関係で大きな役割をいまだに果たしている加藤紘一さん、これらの方々は引退しましたけれども、日中を大事にする系譜でいるわけです。
今はこの派閥は宏池会と言いますが、岸田文雄外務大臣や、農水大臣の林芳正さん、そういう方が派閥の系統としては引き継いでいるということになります。
●様変わりした自民党内の派閥力学-優勢を誇る岸、福田派の流れ
一方で、福田さん本人というよりも、当時、福田さんを支持した人たちの中には、強烈に日中国交正常化に反対した人が多かったわけです。この派閥はもともと岸信介さんの流れですが、この流れとしては、その後総理大臣になった森喜朗さん、小泉純一郎さん、それから安倍晋三さん、今回二度目ですが、小泉さんのあと安倍さんが一度目の総理をやり、福田康夫さんも1年やっています。こういう系統になります。
この中で、森さんは割と全方位的で、中国から見てそれほど印象が悪い人ではないと思います。また、福田康夫さんは、日中関係では非常に貢献したということで、今も中国からは大変高く評価されています。しかし、5年半と長く続いた小泉さんは、靖国参拝をずっとやり続けたということで、いまだに中国の印象が悪い。
そして、安倍さんは、前回総理をやったときは、むしろ小泉さんの後で日中関係を打開するために靖国参拝も封印して、真っ先に中国を訪問するということで日中関係を開いたのです。しかし、今回はその靖国参拝をしなかったことが痛恨の極みであるということを言い続けまして、靖国参拝をする。あるいは、この間非常に先鋭な対立の対象となってしまった尖閣諸島の問題についても、安倍さんは非常に強い立場をとっておりますので、中国からすると、この安倍さんはなかなか度し難い相手だということになっているわけです。
このように、当時の田中・福田の関係が今日にも引き継がれているのです。お気付きになったかもしれませんけれども、田中さんの系統の総理大臣というのは、小渕さんで終わっており、もう14年ほどになります。以後は、民主党の時代は除くと、ほとんど岸さんの流れをくむ人が総理大臣をしてきているということで、今の安倍さんは血統も一致して、その直系中の直系です。
そういうことで、日中の国交正常化当時の自民党内の派閥力学と言いますか、党内勢力地図と言うか、これがすっかり変わってしまいました。特に、今は安倍さんの天下のような形で、自民党内では安倍さんになかなか刃向える者がいないという状況となり、すっかり変わってしまっていると言えると思います。
●中国に刺激を与え続けた石原慎太郎
それからもう一つ、派閥は必ずしも一緒ではないのですが、石原慎太郎さんがいます。これは前回も申し上げましたが、日中国交に反対して、あるいは反田中ということで、当時若手の議員グループ「青嵐会」というのができました。そのとき、石原さんは国会議員だったわけですが、これに中心人物として参画しまして、幹事長をしたのです。青嵐会を作るときに、血判状を作ったのですが、これも「血判状を作ろうではないか」と言ったのは石原さんで、そういう中心的な役割を果たしました。
そして、その後中国に対しては非常に強い姿勢をとったわけです。中国のことを「シナ」と呼び続けてもきました。「シナ」という言葉は、昔、非常に中国をばかにする言葉として使われたということで、中国は非常に嫌うのですが、「シナというのはチャイナと同じではないか」と言って、石原さんはあえて使い続けていたのです。あるいは、日中戦争も、日本の侵略であるという見方を...