●日本の国際NGOの端緒になったジャパン・プラットフォーム
小原 こうした観点から、そうした持続的な能力を育てるために、われわれができるのではないか。例えば会社を退職された方が、自分が持っているそうした9分野の中で、自分の能力を海外に行って伝えていく。海外の人たちの自立能力を高めていく。これは非常に息の長い協力ですけれど、第2の人生として、非常に大きいことですし、これはもちろん若者もどんどん参加しています。そうした若者がそうした経験を踏まえて、また日本に戻ってきて日本の企業に中途採用で入っていく。あるいはJICAでまた働くのです。
さらにいうと、次に出ていますけれど、国際NGOというようなところでも働きます。
図を皆さんに用意したのですが、「ジャパン・プラットフォーム」というものができたのです。これはコソボ紛争の時に、日本は何ができるかというようなところから、この時に、当時、世界のNGOが人道支援にあたったのです。
ところが、当時の日本のNGOはまだまだ小さかったのです。資金的にも不足して、人材的にもマンパワーです。一つひとつのNGOが対応できない中で、政府や経済界と一緒になって資金やノウハウや経験といったものを集約したプラットフォームをつくる、中間的なものです。そこにもちろん個人が入っていくわけです。こういうものをつくったのです。
私は外務省の中で、そうした援助の仕事をしたわけです。先ほど(第1話で)9・11のお話をしましたが、アフガニスタン戦争の後にアフガニスタンを民主化する(という中で)、アフガニスタンは、当時まさに麻薬栽培だとか腐敗だとか、いろいろな問題があって、非常に生活レベルが低かったのです。こうした国をしっかりと復興していく。そうしたプロセスの中で、ジャパン・プラットフォームは活躍したわけです。
こうしたシステムの下で、いろいろな協力が行われたわけですが、その1つが「ペシャワール会」と書いてあるのですけれど、皆さんもご存じの2019年に、銃弾に倒れた中村哲さんです。こうした協力を草の根レベルでやっているNGO、これを、私も当時「無償資金協力」という課の課長をしたわけですけれど、そのときに一生懸命ご支援をさせていただいたということなのです。
●一個人でもできる支援の形はある
小原 では、皆さんに何ができる...