●日中国交正常化をめぐる反対派の面々
前回、1972年に田中角栄首相が北京に行って、日中の国交を開いたときに、自民党内から猛烈な反対があったというお話しをしました。
その反対の急先鋒になった人たちは、特にそれまで台湾の蒋介石政権との関係を密にしていた人たちです。当時で言いますと、もう古い方で亡くなった方ばかりですけれども、賀屋興宣さんであるとか椎名悦三郎さん、船田中さん、灘尾弘吉さんといった、党内の長老の方々、保守の重鎮でもあった人たちでした。
また、当時の若手としては、これも亡くなった人が多いのですが、藤尾正行さんや渡辺喜美さんのお父さんである渡辺美智雄さん、あるいは中川昭一さんのお父さんの 中川一郎さん。そして石原慎太郎さん。その後都知事となり、今は国会議員になって尖閣諸島で大きな石を投げたと申しましょうか、石原さんも当時からこの日中国交正常化に反対する若手のグループの核としていたわけです。
一方、賛成派の中には、これも党内の長老たちがもちろん何人もいたのですが、当時の若手でその後新自由クラブを結成し、衆議院議長も務めた、今は議員をお辞めになっていますが、河野洋平さんとその仲間といった方々が賛成派の急先鋒でいたということです。
●反対派の論理と「青嵐会」の旗揚げ
「台湾を切り捨てるのは反対だ」という方々の論理は、それなりに分からないではないのです。「もともと日本が戦争した相手は、蒋介石の国民党ではないか」という論理です。
そして、その蒋介石は実は戦争が終わったときに、「この恨みに報いるのに、恨みで報いてはいけない」「むしろ徳でもって報いよう」ということで、賠償を一切放棄したといった経緯があります。あるいは、蒋介石が天皇制の維持に協力したとか、日本が分割占領をされないようにソ連をけん制する役割を担ってくれたなど、つまり、自由陣営の一員として、非常に日本の味方をしてくれたではないかという意識が、台湾の切り捨てに反対した人たちにはあります。それに対して、共産党の中国は自由陣営の反対側にいるわけですから、そういう勢力と手を握って台湾を切り捨てるのは、いかにも仁義にもとるというのが反対の理由でした。
そして、先ほど申し上げた若手の人々は、翌1973年に「青嵐会」という若手タカ派の威勢のいい人たちのグループを旗揚げします。そのときに幹事長になったのが、石原慎...