●大量の情報をいかに自分のものにするかが問われる時代
もう1つ、大事だと思うポイントは、今は情報が大量にある時代だということです。例えば、明治時代のように洋行して貴重な本を持って帰ってくるという時代だと、本当に手に入れられる情報はその本だけ、しかも外国語の本だけということになり、その本を隅から隅まできっちり翻訳をして、隅から隅まで覚えるということに大きな意義があったと思います。そこまで極端な時代ではなく、例えばインターネットがこれだけ普及する20年30年前でも、やはり手に入れられる情報、あるいは流れてくる情報は限られていました。テレビのニュースをかじりついて見るということに意義がある時代だったのです。
ところが今やインターネットを通じて大量の情報が流れてきます。その中にはさまざまな情報があって、場合によってはフェイクニュースではないかといわれるようなものもありますが、かなり高度な専門家による情報も発信されます。この大量に入ってくる情報をいかに自分のものにしていくかということが、やはり今の時代に必要とされる「学び」であって、それは海外から得た1冊の本を隅から隅まで読む学び方とは当然変わってこないといけないはずです。
●大量の情報を頭に通す、保存せずその場で読む
このように大量に情報がある場合の学び方には、実はなかなかいい指南書がありません。私が思うのは、大量の情報はとにかく流しっぱなしにするのが大事だということです。大量の情報の中で限られた一部のいい情報だけに接しようと思っても、実はどれがいい情報なのか、どれが有意義でないのかということを選別するだけでも大変な作業になってしまいます。また、その重要な情報をきちんとためておいて後でチェックをしようとする傾向も強いのですが、これも実は難しくなっているのではないかと思います。
昔であれば、新聞を切り抜いてスクラップブックを作ったりしましたし、今でも何か重要なブログの記事をメモしたり、あるいはその記事をためておくということをやっている人は随分多いと思います。ネット上で印象に残ったさまざまな情報、あるいはこれは大事かなと思ったところをファイルしておく、コピーしておくということです。ところがどうでしょう。実際そのような情報を一体どのくらい見返しているでしょうか。ためておいた情報を見返して整理するということをしない人の方がほとんどなのではないかと思います。
それは次から次へと新しい情報が入ってくるからなのです。保存しておくことに実はあまり意味がなくなってきています。保存しても見直す暇はないからです。むしろ保存してしまうと、そのことで安心をしてしまって自分の頭の中に残らない。もちろん大事な記事だから保存しておこうというのは少し前だと割と正しい選択でした。しかし、大事な情報だからと保存しても、後から見直す暇がないとすれば、実は保存して安心をしてしまった時点で、むしろ頭の中に印象として残らないという問題が起きてしまいます。
ですから、実は大事な情報はむしろ保存せずに、大事だと思ったらその場できちんと読んでおくことの方がずっと重要なのです。下手をすると読まずに保存したりしますが、これはあまり賢明なことではありません。その場で大事だと思ったものをすぐ読んでおくということです。そういう形で大量に情報を流していて、大事かなと思ったらすぐ読む。実はそのくらいの気持ちで接した方が、本当に大事な情報が頭に残っていくと思います。
●「正解」を探すのが学びではない
そうしたときに、「では、本当に大事な情報を逃してしまったらどうするんですか」、あるいは「大事か大事でないか、重要か重要でないかはどうやって判断したらいいんですか」という質問をよく受けます。こういう質問に対しては、実は客観的に大事だとか、あるいは客観的に正解な情報はなく、その本人にとって重要な情報はどれなのか、そしてその情報が本人にとってきちんと把握しておくべき情報であればそれで構わない、という理解をする必要があるのだとお答えしています。
実はこれが「大人の学び」の1つのポイントです。いわゆる試験勉強のときには正解があり、その正解をきちんと覚える、あるいは正しい考え方をマスターするという正解があったと思います。ところが、例えば現実世界においてどういう意思決定が正しいのか、あるいはどんな情報に基づいて意思決定をするのが正解なのかというと、実際に仕事をしてみれば分かりますが、そこに正解などありません。ある意味その場その場でその人が本当にベストだと思うものを選ぶしかありませんし、ベストだと思うことを進むしかない、というのが現実の仕事なのです。
それと同じように、実は学び方や情報処理の問題においても正解はありません。何が...