●動物や人間の自由意志を否定したスキナーの行動主義
動物やヒトのこころと行動の関係を物理的に統合したいという考えの一つの極限として、「行動主義(Behaviorism)」というものがあります。これをつくったのは、ハーバード大学の心理学教授だったB.F.スキナーという人です。行動主義学派は非常に大きな勢力となり、1970~80年代まで大きな学派として実に多彩な成果を挙げました。
行動主義の見方では、動物や人間の行動は過去の条件付けによるものです。過去に起こったことで学習をして、良かったことは行うが、悪かったことは行わなくなるとスキナーは述べています。
だから、自由意志というものはないと彼は言います。過去に楽しかったり、いい結果をもたらした行動はまた行う。過去に悪い結果がもたらされた行動はもうしない。それを繰り返していくと、ある人間ができたり、ある動物ができたりする。人や動物の行動は、心の中の「これをやりたい」と望む自由意志によってなされているわけではなく、行動とその結果が非常に重要なのだというのです。
彼の方針は、脳の中やこころをブラックボックスとして切り捨てることでしたが、研究パラダイムとしては非常にいいものでした。行動を見て、それがいい結果だったか悪い結果だったかを観察します。また、実験で利用した「スキナー箱」も有名になりました。バーを押して、間違っていたら罰を受け、正しければ餌が出てくるものです。これにより動物に学習をさせ、動物がどう学習するか、行動と結果を分かりやすく見てとれるようにしたのです。痛いのか餌が出てきたのかだけで判断すればいいので、とてもいい、簡単なパラダイムです。
●1980年代末から進化心理学の動きが始まる
こうしたことで分かったことはたくさんありますし、学習に関する理論もたくさんできました。しかし、これらの研究では「生物としての脳みそ」や「生物が生きる環境」などは考えていません。このような生物進化をまったく考慮しないタイプの心理学が一つの極限として現れ、長く伝統として続けられました。
しかし、ジョージ・ロマニスとチャールズ・ダーウィンの考え方が消えてしまったわけではありません。これから紹介する二人は1989年頃から論文を出し、90年代には著作を発表しています。その頃から、生物である人間の進化を考慮に入れれば、もっとよく脳みそやこころを考えられるのではないかと主張する人が出てきたわけです。
その元祖が、今カリフォルニア大学のサンタバーバラ校にいるジョン・トゥービー氏とレダ・コスミデス氏の二人です。この二人が、ジェローム・バーコウ氏という学者と一緒に“The Adapted Mind(『適応した心』)”という本を書いたのが1992年。この本の中には、「進化心理学とはどういう考え方か」ということが、いろいろと書いてあります。
前回私が言ったように、ヒトの脳みそは進化の産物の臓器だと彼らは言います。ホモ・サピエンスという種に属している私たちは誰でも、山中に住んでいても都会に住んでいても、皆同じようにサピエンスとしての基本的性質を備えている。脳の基本的な働きをなす土台部分にも同じものがあるはずだろう。その土台はヒトに固有の情報処理プロセスであって、進化の舞台抜きに設計されたコンピュータではないはずだ、という主張です。
●進化の中で得た特質とバイアスを明らかにする
動物側から考えても、脳神経系は臓器として進化してきたものです。感覚一つをとっても、それぞれの動物が生息する環境において生き伸び、繁殖するのに重要な刺激は異なります。それらを感覚して利用することに特化して、進化したに違いないということになります。
例えばヒトは昼行性の霊長類なので、視覚優位になります。哺乳類は夜行性が多いので視覚はあまり使わず、嗅覚が優位になりますが、人間は昼行性のサルだから視覚優位で嗅覚はそれほどでもありません。
それがどういうバイアスになって現れるかというと、ヒトは視覚的な情報があると、それに非常に引きずられやすい。単に可視光が見えるとか、物が動いていくのを追えるというだけではなく、本当に視覚優位に感覚情報を処理するのがヒトという動物なのです。
だから、視覚情報にとても引き付けられる。視覚情報を渡されると注視してしまう。そのようなバイアスが掛かると考えられています。私もその通りだと思います。
●「砂糖と脂肪」欲求への歯止めは進化していない!
それから「情動」ですが、「欲しい」「好き」のようなものは、その動物が生き延びて繁殖するのに有利になるような動機付けの仕組みとして進化しました。
例えばヒトでいうと、食欲は個体の生存と維持に非常に重要です。しかし、ヒトの進化した環境では、砂糖や油はふんだんに存在することがありませ...